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『パリわずらい 江戸わずらい』その2 [本のブルース]

2020-02-20T17:09:38.jpg

昨日書いた『パリわずらい 江戸わずらい』の続きです。


世間の善意を信じようとせず、について考えてみました。


私たちの若い頃にボランティア活動というのは皆無に等しく、私の記憶では1995年の阪神淡路大震災を契機に世の中が変わった気がします。


ある地域が甚大な被害を受けた時、被害のなかった地域の人たちがボランティアとして助けるという活動はこの時から一般的になりました。(私見です、以下同様)


それまではどうだったのでしょうか?


1959年の伊勢湾台風の時にそのような話があったかどうか、私は寡聞のためか知りません。 この時自衛隊が復旧活動に大活躍した話は聞いたことがあります。


もっと前、太平洋戦争の時は全国民が被災者であるので助けに行く人がいません。


もっとも疎開先があったように戦災を受けた都市部に比べ空襲がなかった田舎は余裕があったのでしょうが、今のようなボランティアの話はないように思います。


これは、昔の日本は貧しかったので隣人を助ける余裕がなかったのだと私は見ています。


私の父は戦時中そして戦後すぐの頃、子どもであったためうまく配給がもらえず、心無い大人に横取りされたという話をよくしていました。父はその恨みを終生持ち続けていました。


閑話休題、浅田次郎氏の家は代々江戸っ子で、父母・祖父母に連なる方々が東京大空襲や関東大震災、そして明治の御維新の際に大変ご苦労されたとエッセイとかに書かれています。


他人様にひどい目にあわされたと聞けば、そうやすやすと世間の善意なるものを信じることはできないでしょう。


悲しい言葉ですが、昔は人を見れば泥棒と思えと言いました。 今も災害にあわれた地域ではそのような行為もあるそうなことも聞きます。


浅田さんが言う意味はこういうことなのかぁと想像してみました。

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