不要不急について考える [中日新聞から]
嬉しいことを表すのに「盆と正月が一緒に来たようだ」という表現があります。
私は長い間この表現が実感できませんでした。
というのは、私は長年金融機関で働いていたので、盆休みや正月の長期休暇というのがなかったからです。
父親も同業者でしたので盆・正の長い休みはありませんでしたから生まれてから55歳になるまで経験したことがなかったのです。
その代わり金融機関というのは土日の完全週休二日制の上、いろいろな制度休暇はあるので実は年々休みが増えていたというのが実感でした。
さて、現在はサービス業に籍を移したので、休日はグッと少なくなりました。
これは世間様並みになったと自分は受け止めています。今までが恵まれすぎていたのです。
週一の休みのペースの代わりに盆休みと正月休みができました。
今年のお盆休みは8月11日~17日まで7日間と長かったのですが、コロナ禍の影響で外出は控え、ほぼ自宅で過ごしました。
前置きが長くなり恐縮です。ここからが今日の本題。「不要不急」について考えるです。
実はこの盆休み中に「遠出」を考えていました。
今年はコロナ禍で帰省ラッシュはありませんから、遠出するにはもってこいです。高速道路も空いているでしょうし、観光地も人ごみがないでしょう。
移動自粛求められ中、不謹慎な行動ではありますが、自分にはコロナに感染する経路はありません。もちろん体調も万全です。PCR検査は受けてはいないもののコロナ陰性はまちがいないと思います。
コロナを拡散するわけではないのなら遠出もいいのではないか、そんな考えが頭をよぎり、4泊5日くらいで東北地方の城跡を回ろうかと考えました。
結局やめたのは、行った先々で冷たい目で見られたり、万一コロナに感染した時はその行動を責められると思ったからです。
その責めに対して私の言い訳はこうです。
「私の行動は不要不急でないからです。必要至急なのです。なぜなら、私は日頃休みがありません。遠方へ行けるのはお盆か正月です。また、私は持病があり1年後・2年後どうなっているかわかりません。行動できる“今”を大切にしたいのです。」
ま、こう言っても「そんなのは自分勝手なへ理屈だ」で片づけられるでしょう。
そう考えて断念しました。
しかし、同じように考える人は他にもいるようで、写真の中日新聞の記事(2020年8月14日付け)は【我が意を得たり】という内容でした。
ご関心ある方はネットか何かでお読みください。
さて、人間一寸先は闇、明日のことはわからないのが人生です。
私たちは常日頃言います。限りある命のだから今を大切にするべきだと。それは若い人も高齢者も関係ありません。若者も交通事故で命を落とすこともあるのですから。
そう考えると「不要不急」ということはあるのでしょうか?
むしろ行動の中身が問われるべきなのでしょう。
その行動は己の欲ではないのか?
そう考える時、私の東北に行きたいという欲求は己の欲にすぎません。ゆえに行動に移しませんでした。
しかし、そうなるとですよ、人間のほとんどの行動は己の欲に起因するのではないかということになり、たとえば観光産業などはなくなってしまいます。
結句、大人しくコロナ禍があけるの待つのが得策ということなんでしょうね。
最後までくだらない文章をお読みいただき失礼いたしました。(拝)
2020-08-18 06:00
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