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『命の砦』 [本のブルース]

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久しぶりにPCからアップします。写真が大きくていいですね。


また、本の話で恐縮ですが、『命の砦』、凄いエンターテインメント作品。息もつかせぬ面白さというのはこういうことを言うんだろうなと思う。(使いふるされた表現だけど。)


本作は、「女性消防士・神谷夏美シリーズ」の第3作だそうですが、私はこの本しか読んでいません。


スリリングで楽しめるけれど危険な作品だと思う。


設定は現代のクリスマスイブ、場所は新宿。そこで巻き起こる大火災に挑む消防士ら。勇敢を通り越しての蛮勇は戦時中の「特攻隊」を彷彿とさせるところがある。日本人はこういうメンタルを持っているのか? 


それにしても小説とはいえ、こういう話は許されるべきではないと思うが、皆様はいかが思いますか?(これだけの説明ではわからないと思うので、ご関心のある方はご一読ください。)



閑話休題、このシリーズの第1作は1970年代のパニック映画の大傑作『タワーリング・インフェルノ』をオマージュしたものと作者自身が後書きで書いている。


その『タワーリング・インフェルノ』には次のような意味のセリフがあった。(階数とかはうろ覚え)


「建築家たちは競い合って高いビルを建てたがる。おまえたちは火災が起きた時のことなどこれっぽちも考えたりはしない。今のはしご車の能力では11階まで消すのがやっとなんだ」


この映画の舞台になった高層ビルは100階を超えていた。当時の消化能力を遥かに上回るビルだったということだ。



この『命の砦』の舞台は新宿の地下街。そこには十分なはずの防火設備があったはずであるが、それが脆くも打ち破られていく。


さらには火災時には危険極まりないマグネシウム製のPCやスマホ、ゲーム機がうず高く積まれているという設定。年末商戦ということでそういうことが起きるのであるが、これなどは先の『タワーリング・インフェルノ』のセリフと同じではないか?(商売のためには危険なことを顧みない。というよりも、そんなことを考えることすらしない。)


この本を読んでいると、今の日本ではテロや革命がいともたやすく起こせるのではないかという気持ちになる。それを止めるのが命知らずの消防士や警官らしかないというのであればあまりにも危険ではないか!?


「放火した奴らは、テロリストじゃない。愉快犯でもない。奴らの中にあるのは、純粋な不満、社会への憎悪だ。(中略)今回の放火のリーダーが何かをしたわけじゃないってことだ。」

「何かというのは?」 命令、強要、誘導、示唆、と小池は指を折った。(本書126p.)


「この国では、誰も責任を取らないのが常識になっています。何が悪いんだ、とあの人たちは腹の中で思っているんでしょう」(本書279p.)



本作の背景には、国民の二極化があり、その二極化も上流部がどんどん少なくなって、中流はなくなり、下流部が肥大しているという現実がある。その下流部には組織だって革命やテロを起こすようなパワーや思想はないが、いったん暴走しだすと誰も止めることができない。一方、上流は高い地位や報酬は得るものの、国民を守るとか、いざという時は責任を取るという覚悟のない者が多いという事実が横行している。


果たして、本作はフィクションと言い切れるだろうか?! 現実化しないことを切に祈る次第。


【追記】

今日で11月も終わります。

今月もおつきあいありがとうございました。

師走もよろしくお願いいたします。(拝)

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