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NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回を観て [TVの国から]

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1週間遅れで録画しておいた『麒麟がくる』最終回を観た。


今回の大河ドラマは、話の大筋こそ外さないものの定番となっているシーンを描かないことが多いと感じた。

たとえば、本能寺の変においては信長が最後に舞ったとされる「敦盛」の場面はない。(人生五十年・・・というアレである。)

光秀が愛宕山で戦勝を占うおみくじを引くところもない。 これらの話は後世の創作の可能性もあるのでなくてもかまわないのであるが、そうした定番を削ることは作り手側としては大きな決断がいることだろう。


閑話休題、そうした定番がない分、別の見せ場がふんだんにあったのが今回の大河ドラマ『麒麟がくる』の真骨頂だと私は思う。


従来の信長像をくつがえした染谷演じる信長の心情をあらわにする表情は絶品。最後の立ち廻りも好演であった。


一方、光秀は一度決めるとぶれない芯の通った人物に描かれていた。本能寺の変の三年後、足利義昭は「信長と光秀の二人は世の中を平和にしようというぶれない志があった」という意味のことを言う場面がある。


脚本家の池端氏は義昭の口を借りて光秀と信長の人物像を明確に定義付けた。 こうした一本気の性格の人間を演じるのに長谷川博己は長けている。(『シン・ゴジラ』がそうだ。) 背筋の伸びた光秀が騎乗して去りゆくエンドは決して悲しい場面ではないのだが、見ていて涙が出てきた。


最終回では光秀と信長の若い頃の回想シーンがいくつかあった。大河ドラマを見ていていつも思うのは、人間は若い頃が一番いいということだ。それはある種の純粋さと潔さ、そして希望と夢があるから美しくもたくましい。 今回の大河も良かったと思う。

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