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朱野帰子著『わたし、定時で帰ります。』 [f]

2021-06-20T18:55:10.jpg
働き方改革が言われて久しい。

そこにコロナ禍がやって来て働き方改革がある面では進んだ気がする。そういう意味ではコロナ禍は「黒船」のようだ。

その昔、まだ昭和だった頃、テレビドラマ『熱中時代刑事編』で次のような台詞があった。

「能力のない奴ほど熱心さでカバーしようとするんだよなぁ」

昭和54年ごろのドラマだったと記憶するが、その時代のゴールデンタイム枠の番組で使うには勇気のある言葉だったように今では思う。

公務員の心得と言われた、遅れず休まず働かずは、案外日本企業全てに当てはまっていて、程度の差こそあれどこの民間企業でも同じようだったのではないか、と言ったら、高度成長期の企業戦士に殴られるだろうか?

しかし、無用・無駄な会議や接待、上司とのつき合いなどに取られる時間が多かったのも事実であろう。

地方から東京へ陳情に行く、あるいは東京本社への出張。逆も然りで、地方への視察。それらの大半は現場主義とか、靴を減らす、汗をかくなどという甘い幻想的な言葉で誤魔化されていたのではないだろうか?

果たして令和になった今、それらが全て払拭したとは言い難い。大幅に減ったとは思うが、まだいくらかは残っているだろう。否、IT化が進み、形を変えて潜伏しているかもしれない。


閑話休題、『わたし、定時で帰ります。』は2018年に出版された。

つまり、コロナ禍前である。

今読んでも古くさくはないが、コロナ禍であれば別の話になったような気もする。

定時に皆んなが帰れない理由。それは無能な上司がいるからだ。この作品にももちろん登場する。

「真に恐ろしいのは敵にあらず。無能な上司なり。」と、喝破する。

では、無能な上司とはどういう人物を言うのか?そもそも無能なのにかなりの力を持つ地位になぜつけるのか?

その答えは、「日本人はまじめ。仕事があれば家に帰れない。そういう国に自分は生まれた。」にあると私は思う。


会社がゴーイング・コンサーンである以上、仕事はなくならない。今日はここまでと区切りをつけるだけである。一つの仕事の締切を終えても、別の仕事が次に控えている。

つまり、定時で帰ることはできないのだ。

遅れず、休まない人が評価されるから無能な上司が生まれるのだと思う。


朝一番に来て、夜最後に帰る部下をかわいく思わない上司は少ない。反対に定時に出社し、定時で帰る部下を苦々しく思う人が普通だ。これは上司に限らず、同僚や後輩もそう思う。本当に優秀な人は煙たがられるのだ。

作者は主人公にこう言わせている。

「定時に帰るのは勇気のしるし、だよ」

このセリフがこの話の肝であり、私に一番響いた。

私個人の感想だが、本書は前半が痛快で、後半はややキレが悪く、なんとなくスッキリしない結末だ。物語にリアリティを持たせるとこうなるのだろう。

裏返せば、この国で真に働き方改革が達成されるのはまだまだ先ということではないだろうか?!
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