『パリわずらい 江戸わずらい』その2 [本のブルース]
昨日書いた『パリわずらい 江戸わずらい』の続きです。
世間の善意を信じようとせず、について考えてみました。
私たちの若い頃にボランティア活動というのは皆無に等しく、私の記憶では1995年の阪神淡路大震災を契機に世の中が変わった気がします。
ある地域が甚大な被害を受けた時、被害のなかった地域の人たちがボランティアとして助けるという活動はこの時から一般的になりました。(私見です、以下同様)
それまではどうだったのでしょうか?
1959年の伊勢湾台風の時にそのような話があったかどうか、私は寡聞のためか知りません。 この時自衛隊が復旧活動に大活躍した話は聞いたことがあります。
もっと前、太平洋戦争の時は全国民が被災者であるので助けに行く人がいません。
もっとも疎開先があったように戦災を受けた都市部に比べ空襲がなかった田舎は余裕があったのでしょうが、今のようなボランティアの話はないように思います。
これは、昔の日本は貧しかったので隣人を助ける余裕がなかったのだと私は見ています。
私の父は戦時中そして戦後すぐの頃、子どもであったためうまく配給がもらえず、心無い大人に横取りされたという話をよくしていました。父はその恨みを終生持ち続けていました。
閑話休題、浅田次郎氏の家は代々江戸っ子で、父母・祖父母に連なる方々が東京大空襲や関東大震災、そして明治の御維新の際に大変ご苦労されたとエッセイとかに書かれています。
他人様にひどい目にあわされたと聞けば、そうやすやすと世間の善意なるものを信じることはできないでしょう。
悲しい言葉ですが、昔は人を見れば泥棒と思えと言いました。 今も災害にあわれた地域ではそのような行為もあるそうなことも聞きます。
浅田さんが言う意味はこういうことなのかぁと想像してみました。
『金の言葉 銀の言葉』第20日 [金の言葉 銀の言葉]
昔、そう今より若い時にこの言葉を読んだとき、「乗る人」「担ぐ人」「わらじを作る人」の中で、駕籠に乗る人を単なる楽をする生き方だと誤解してました。
今はそれが浅薄な理解だということがわかります。
駕籠に乗る人がいなければ駕籠屋さんは商売になりません。
駕籠屋さんが商売にならなければ草鞋を作っても売れません。
実は駕籠に乗る人がめちゃくちゃ大事ということです。
閑話休題、生き方でいえば、草鞋を作ることは製造業。モノづくりが得意な人の生き方。
駕籠を担ぐ人は体力に自信のある人。現代であれば運送業はもちろんサービス業全般を指すのかもしれません。
では、駕籠に乗る人はどういう人物か?
職業や生き方は特定できませんが、しっかり働いて稼いだお金で自分に適正なサービスを受け取る生き方となりましょうか?
私は駕籠に乗る人になり経済を活性化する生き方を選びたいと考えています。
余談ながら、新型コロナウイルスで中国からの観光客が減ってバス会社やホテル、飲食店などが深刻な経営危機に直面し始めました。
今日の言葉でいえば中国人はもちろん駕籠に乗る人。
今回の新型コロナウイルス騒動で日本経済がすでに中国頼みになっていることの広がりを改めて知り驚いています。
反対に日本人の内需はどれだけシュリンクしてしまったのでしょうか?
日本に観光に来る中国人がみんな楽してお金を稼いだわけではないでしょう。彼らの日常生活がどういうふうで、どうやってお金を貯めたのかも知ることは日本人のこれからの生き方のヒントになるかもしれません。
話が横道にそれました。 今日の言葉は己の特技を活かせということでしょうか。