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『金の言葉 銀の言葉』第二十六日

2020-03-26T22:06:08.jpg
【ふるさとに帰るのに理由(わけ)はいらない】


以前にも書いたことがある話。

筒井康隆さんの短編小説に『乗越駅の刑罰』という怖い話があります。

有名小説家が久しぶりに故郷に帰るところから話は始まります。

この小説家、うっかり切符を失くしてしまい無賃乗車の疑いがかけられます。

駅員は無賃乗車の罪を厳しく咎め、イジメ倒すという話ですが、イジメの理由は無賃乗車よりもこの小説家が長らく故郷に帰らず都会で働いていた身勝手さにでした。

筒井康隆さんは何かで次のようなことを語ってみえました。「この小説に深い意味はなく、ただただドタバタを楽しんでもらいたい」。

これは本当に小説家の真意なのでしょうか?

たとえそうだとしても、普通の読み手ならこの小説を深読みしてしまいます。

閑話休題、この短編小説が書かれたのは1970年代でしょう(はっきりわかりません)。

この小説が書かれた頃にはまだ地方にも挟持と余裕があり、この話のような理不尽を都会から帰省した人に強いることができたのだなぁと読めば、また違った意味が見出せます。

ま、かなりひねくれた読み方ではあります。

もし、『乗越駅の刑罰』に登場する小説家が挫折して故郷に帰ってきたのなら話は違ったかもしれません。

中島みゆきの何かの歌に、故郷には帰ると自分の靴を脱ぐ場所がちゃんと空いている、みたいな歌詞があったと記憶します。

故郷は大事にすることがまず大事かと思います。
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