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『運び屋』 [キネマのブルース]

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この映画も観たいと思って見逃していた作品です。


最近出会った新しい映画通の友人からのおススメもあって今回観ました。


5点満点で言うと4.5点(最近では最高点)、とてもいい映画でした。


まずはクリント・イーストウッドが主役で監督のを務めるだけで私のような世代にはとても嬉しい。


『荒野の用心棒』や『ダーティハリー』などなど映画を観ることを覚えだした時のヒーローが元気に今も仕事をしている。それを知るだけでも中年から老年にさしかかる世代には勇気を与えてくれるでしょう。


次にストーリーが最高にいい。実話を基にした映画というのはハズレが少ないですね。


主人公は90歳の退役軍人・アールで、ひょんなことから麻薬の運び屋となる。最初は小さな仕事から、やがて大きな仕事を任され組織からも一目おかれる存在となるが、警察の追及も厳しくなり捜査の手がアールにのびる・・・、とこんな話なのですが、ここで私が凄いと感じたのはアールはなんと「朝鮮戦争」に従軍したという過去です。それは車のナンバーに記されたたった一行で伝えられるだけですが、アメリカ人にはとっても重い事実なんだと思います。


他にも人種差別やマイノリティーの問題、アメリカ社会の闇の部分など私には理解できない背景がたくさんあるように見受けられました。理解できなくてもそれらが作品の厚みになって伝わってきます。


3番目は主人公と家族の関係。


主人公・アールは仕事一辺倒で家族をかえりみなかったため、妻や娘には見限られ唯一の味方が孫娘だけという境遇です。


この映画を観た往年の企業戦士には(そして私にも)次のセリフが響きました。


「幸せになるのに多くのお金はいらなかったのよ」


「外の世界で大きくなろうとした。しかし家の中では小さかった」


「家族のことを忘れるな。他のことは二の次だ」


一番上はアールの妻がアールに向かって言うセリフ。


二番目はアールが家族に言うもの。


三番目はアールが自分を追う刑事に言ったもの。


特に三番目はアールが自戒を込めて、俺のようになるなという想いを働き盛りの人に伝えるのです。


これは人生を長く生きてきた誰もが共通して持っているメッセージですし、私もそう思います。


重要なのはこのことに気付いたときは「時すでに遅し」で、取り返しのつかないことになっていることです。(果たして主人公アールはどうか?ネタバレになるのでここには書きません。)



さて、いろんな意味で思い入れが強い映画だったので、グダグダと長文となってしまったことをお許しください。


運び屋・アールが車で走るシーンが気持ちよさそうで、私もまた長距離を走りたくなりました。


エンドロールに流れる曲がまたよかったんです。


「Don't  let  the  old  man  in」(邦題:老いを迎え入れるな)


世代や男女によって視点が違い、感じ方も違う映画だと思います。


冒頭にも書いたように50代以上の男性には勇気と希望、そして戒めを教えてくれるいい映画でした。

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金華山の麓(ふもと)に集う勇者とは [This is historyブルース]

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来月からNHKの大河ドラマもこの新型コロナのせいで撮影が追いつかず一時お休みになるそうですね。


今回岐阜市は大河ドラマで町の活性化を図ろうと一生懸命準備をしてきたでしょうに本当お気の毒です。


思えば沢尻エ○カの降板が最初のつまづきで、前代未聞の初回放送の繰り下げ。ようやく放送開始と思いきやそれも束の間すぐにコロナ騒動が始まりました。 本当なら今頃岐阜観光にワンサカ人が押しかけるところでしょうが、新型コロナ騒ぎでそれどころではありません。


閑話休題、写真は今年1月に撮影したものです。 この三人の武将は昔はあまり人気がなかった三人です。


斎藤道三は「蝮(まむし)」と言われるくらい怖れられた下剋上を代表する武将です。その凄さを現代で例えれば、町工場を経営しながら県知事の仕事をやっているようなもんでしょう。


織田信長は津本陽さんの小説やゲーム「信長の野望」の影響もあり、彼の革新性が評価されて最近では一番人気のある戦後武将と言ってもいいでしょう。しかし以前は信長の残虐性から忌み嫌われた武将でした。実際彼によって滅ぼされ根絶やしにされた地域では今でも信長に呪詛の念を抱く人たちがいるとも聞きます。


そしてその信長を討った明智光秀は英雄かといえば、そう簡単に評価は定まらないようです。古い日本人の価値観に従えば主君を殺すことはいかなる理由があっても重罪と考えられるからです。 諌めるのが家来の仕事であり、実際そういう例は戦国の世でも多かったのですから、光秀のように天下を獲りにいくというのは家来としてあるまじき行為ということになるのです。


そうした三人が英雄然として並ぶカッコいいこのオブジェを見たとき、私は時代の移り変わりを激しく感じました。


実はこの下地を作ったのは国民的作家である司馬遼太郎さんの『国盗り物語』であることは異論の余地がないと思います。


この小説も昭和48年の大河ドラマになり人気を博しました。


私の理解するところの司馬史観によれば、下剋上とは旧弊を改める革命であり、つまりは民衆を圧政から開放することである。斎藤道三は一介の油売りから身を興し美濃一国を切り取った。しかし、そこまでで自分の意志を優れた若者二人に託した。それが信長と光秀であった。二人は道三の兄弟弟子であり、同門ともいえる。 その二人はある意味太陽と月、光と影の関係で相引かれながらも最後は激突する。太陽なくして月はなく、光あっての影。信長を討った光秀は共に滅びる運命にあった。(後半は完全に私見です。)


そう考えながらこのオブジェを見ると、現代風の描き方になにやら寂しさを感ぜずにはいられないのです。

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