月イチゴルフ [f]

とてもスコアカードを公開する勇気はないが、今日の出来は自分としてはまずまずだった。
それにしてもゴルフ場は結構賑わっていた。このゴルフ場はインターに近いせいか県外ナンバーも多い。
ゴルフ場通の人によると、コロナ以降、比較的感染を楽しめる娯楽としてゴルフは復活したという。
まずはこれまでゴルフを楽しんできた中高年者が飲みに行けない分ゴルフの回数が増した。今日の朝のクラブハウスの様子もなんとなく20数年昔に戻った雰囲気があった。みんな年はとったど、、、。
プラス若者もじわじわと増えている。今はメンバーさんなしでも簡単にネット予約できるからである。口うるさい先輩や上司がいない分友人同士で自由にプレイできるからいいのだろう。
この若者たちはマナーを知らないので、総じてオールド層からの評判は悪い。マナーを学ぶ機会がないというのはある意味不幸なことだ。
閑話休題、今週から5週連続でゴルフの予定が入っている。私としては初めてのことだ。
理由は異動シーズンにつき送別ゴルフ会があるからだ。その合間に定例のゴルフ会か入っている。
私のゴルフはいつまでも下手くそだが、身体を動かしていると体調がいい。もっと遊ばないといけないなぁ。
こしらの集いin津 そのニ [f]

言うまでもなく両方とも廓噺である。
こしら師匠曰く「あえてそうした」とのこと。
閑話休題、この会に足を運ぶようになって6〜7年経つ。初めて寄せさせてもらった日の記憶は薄い。
そしてその初めの頃にこの二つの演目を聞いたことがある。その時も同日だったのか、別の日だったのかも覚えていない。
こしら師匠が上手くなったのか、私に鑑賞力がついたのか、はたまたその両方なのか、二つともこしら師匠の芸の上手さと古典を下敷きにしながらも現代風の仕上がりにする演出が光った。
とりわけこしら師匠の演じる女人は魅せる。
「品川心中」のお染はこしら師匠の十八番だと私は勝手に思っている。この噺は上下があり、普通は上だけで終わる。こしら師匠は下も演じ、そこに師匠のオリジナリティが発揮される。
女人、とりわけ水商売の女人は信用できない。というか、騙す、噓をつくと疑うようになったのはこの落語を知ってからだ。
女人に限らないのかもしれないが、常日頃の評価と違うことを言われたら、とりあえずは裏がないかを疑ってみるのは悲しいかな現実的な処世術である。
『峠』 [f]

司馬遼太郎原作。
私が初めて読んだ小説がこれである。
12歳だった。随分と早熟だったと思う。
読むきっかけはNHK大河ドラマ『花神』だった。
『花神』の原作は同名の司馬さんの小説であるが、その他にも『世に棲む日々』と『峠』が元になっていると言われていた。
読みたいのは同名の『花神』であったが、友人とのジャンケンに負けて私は『峠』になった。
そして、私は主人公の河井継之助を大尊敬するようになった。
当時同級生はもとより大人も「誰それ?」という反応だった。
あれから45年。まさか、映画化されるとは!
近日観に行く予定。
『夕映え天使』 [f]

オリジナルの発売が14年前、文庫になってからも11年が経っている。ま、今さらの感想ということで。
この短編集のレベルは高いと思う。表題の「夕映え天使」、「切符」は浅田氏の十八番。「特別な一日」は最後、星新一のような展開。
「琥珀」、「樹海の人」もよかった。
一番よかったのは「丘の上の白い家」。そうきたか、というエンディングにしてやられた。
やっぱいいね、浅田次郎!
ヤクルト1000 [f]

プレミア付けて転売もされていると聞く。
果たして私は正規ルートで購入している。つまり、職域訪問のヤクルトレディから買っている。
しかしその正規ルートも品薄につき、新規購入はできない。これまで買ったことがない人は急に買うことができない。
なんか久しぶりに真っ当な商売を見た気がする。
『ちむどんどん』をマニアックに見る [f]

私個人の感想では、前作には及ばないものの、まあまあ面白い。
特に注目しているのは安孫子ヨシ役の大島蓉子さん。
立ち上がる時の「よっこいしょういち」というかけ声やビックリした時の「アッと驚く為五郎」という昭和ギャグをセリフで連発している。
それは「受け狙い」という意味ではあまり成功しているとはいえないが、登場人物の性格付けという意味では悪くない。
安孫子ヨシの役どころは、戦後苦労を重ね生活してきた人物。時はすでにオイルショックの頃で、屋台でおでん屋を始めたがうまくいっていないという設定。
閑話休題、主人公の母親役は仲間由紀恵さんだ。若い頃は『トリック』で三枚目キャラがはまり役であったが、今や大女優の風格十分。優しい落ち着いた感じで良妻賢母の役どころを好演している。
仲間由紀恵さんと大島蓉子さんは『トリック』で共演している。仲間由紀恵扮する山田の住むアパートの大家さんが大島さんだった。
この二人がこのドラマでも絡むことを切に望む。「や~まだ」とまちがって呼ぶようなことがあれば最高である。
「あたりまえだ」と言うて まだ不足を言うて生きている [f]

「あたりまえだ」は、カギ括弧があって、後半にはそれがない。
「あたりまえだ」と悟ったことを言いつつ、「あたりまえだ」という割り切った感は【まだ不足を言うて】いるからではないか?
そんな風に理解した。
閑話休題、「あたりまえだのクラッカー」というギャグフレーズが思い出した。私の年齢でもリアルタイムでは見ていない古典である。
「あたりまえだのクラッカー」が一世を風靡していた頃、日本はまだ不足というのではなくて、もっと豊かになりたいという気持ちを国全体がもっていたのだろう。
その気持ちは健全だと思う。まだ不足を言うのとは似て非なるもの。天地の差がある。
健全な欲求を忘れないでいたい。