散歩のすすめ [f]

ゴール地点は写真の鳥居。椿大社でいつもお参りするところから更に奥に入ったところ、入道ヶ岳の登山口にあたるところ。
今度は入道ヶ岳にチャレンジしたい。
ちょうちょが来る庭 [f]

子どもの頃だとそれだけでとても気持ちが高揚し、捕まえようと一生懸命になった。
今は捕まえようとは思わないが、気持ちが安らぐ光景である。
簡単に言えば平和そのもの。自分も、世間も平和だから、ちょうちょを眺める余裕ができる。
自分が多くを求めたらロクなことがない。世間もそうであろう。
マズローは欲求を五段階に分析したが、三ぐらいで止めるのが正解ではないのか?皆んなが自己実現などしたらロクなことにならないのではないか?!
川うめサン [f]

出川哲朗の番組で、バイクの充電をこのお店でしているのを見たのはもう4年前になるらしい。
お得セットを頼む。
うなぎとエビフライ。どちらも私の大好物。美味しくいただいた。
お店の方がご丁寧に、外まで見送ってくれた。
ご馳走様でした。
松阪探訪 [f]

松坂は紀州藩の飛び地であり、江戸時代にこの屋敷に住んだ人々は紀州藩士であった。
最近、松阪市は「豪商のまち」を標榜している。たしかにそうだが、それは一面ではないか?徳川御三家の飛び地であった歴史的意味合いをもっと掘り下げて知りたいと思う。
また、「豪商」のまちというより、商売人のまち、商いのまち、あるいはかつての「ソロバンとロマンのまち」の方がしっくりくる気がする。
一時期、文化を前面に出そうとしていた頃、ある地元の方がつぶやいた言葉が忘れられない。
「まっつかは、商売の町とちがうん?」
三井高利生誕400年 [f]

その特集記事によれば、三井家発祥が松阪市であることを地元でも知らない人が多いらしい。(私は、そのことは知っていた。)
二十数年前にちょっとしたコラムを書くため三井高利と松坂(江戸時代の表記は阪ではなく、坂だった)の関係を調べたことがある。当時は、三井高利自身の資料はたくさんあったが、地元との関係性についての資料をうまくさがせなかった。
今回の中日新聞の特集では、三井高利以後の三井家と松阪のことが書かれていて、読みごたえがあった。
閑話休題、三井高利のすごいところは商売で大成功したことは言うまでもないが、彼が遅咲きであったことにある。
三井高利が江戸で本格的に商売を始めたのは52歳。人生50年と言われた江戸時代初期に、晩年を迎えてから故郷を離れ江戸で勝負するという体力と気力は相当のものである。
これには理由がある。
本当はもっと若い頃に江戸の店舗で商売をしたかったのであるが、高利は自身の長兄からそれを禁じられ、松坂の家と店を守ることを命じられる。家長制が絶対であった時代であったからやむなく彼はそれに従った。
長兄が亡くなり、自分が思い通りにできるようになったのが52歳であった。
ここからは私の想像であるが、長兄は弟の商才に嫉妬したのか?あるいは、あまりに大きすぎる商才に身代を傾けることを怖れたのか?いずれにしろ弟高利を故郷に縛りつけた。
高利はそこでどう過ごしたのか?倦むことはなかったのだろうか?興味があるところである。
長兄にしても江戸店をしっかり守っているのだから才覚がないわけではなく、もしろ標準以上の人物であったと思う。
いずれにしろ長兄の縛めから解かれたとき、満を持して江戸で勝負し、三井財閥の礎を築いた三井高利はすごすぎるという言葉しか出てこない。
普通なら隠居する年齢である。今でいえば、80歳を越えて起業するようなものである。
あきらめず、挑戦した気持ちを讃えたい。
月イチゴルフ [f]

早朝スルーで雨がひどくなる前になんとかプレーを終えることができた。
閑話休題、やっぱり身体を動かすことは気持ちいい。日頃まったく運動しないので、有り難さを実感する。
途中、ショットのコツをつかんだと思ったのは、やっぱり錯覚だった。