写真は松坂城から見た御城番屋敷。整然と並ぶ屋並が美しい。
松坂は紀州藩の飛び地であり、江戸時代にこの屋敷に住んだ人々は紀州藩士であった。
最近、松阪市は「豪商のまち」を標榜している。たしかにそうだが、それは一面ではないか?徳川御三家の飛び地であった歴史的意味合いをもっと掘り下げて知りたいと思う。
また、「豪商」のまちというより、商売人のまち、商いのまち、あるいはかつての「ソロバンとロマンのまち」の方がしっくりくる気がする。
一時期、文化を前面に出そうとしていた頃、ある地元の方がつぶやいた言葉が忘れられない。
「まっつかは、商売の町とちがうん?」