日本海側の風力発電 [f]

青山高原にあるものと異なり、一機がそれほど大きくない。高さも低い。その分、密集した感じで迫力があった。
見慣れないせいもあって異形さに心惹かれた。
出雲大社に行ってきました [f]

写真の拝殿に飾られた注連縄は神楽殿のものより小さいが、社殿との構図がこちらの方が好きだ。
お正月前だったので人では少なく、正月準備が整ったばかりの感じがした。
出雲に行ってきました [f]

説明書きによれば、出雲はぜんざい発祥の地の一つだという。
紅白のお餅が御目出度い。
閑話休題、ぜんざいといえば、赤福ぜんざい。今年はまだ食べていない。
伊勢と出雲の「ぜんざい戦争」は伊勢に軍配をあげたい。(わたし的には。)
初打ち [f]

スコアは昨年の調子を継続して「百十の王」であった。(情けなや〜)
閑話休題、スコアを伸ばすには、練習と基礎体力、そしてギアであろう。
体力が落ちてまずまずの当たりをしても球が飛ばない。
体力の衰えを補うギアがない。そもそも絶対本数が不足している。
そして練習の絶対量も少ない。
まずはギアの解消から始めようか?
高橋幸宏さん [f]

享年70歳。少し前から御身体が悪いと何かで聞いていた。今の日本人の平均寿命でみればまだまだ若い。
閑話休題、私は高校の頃イエローマジックオーケストラが大好きだった。中でもユキヒロさんのファンだった。
彼のソロアルバム『音楽殺人』はよく聴いたなぁ。
ユキヒロさんはYMOの細野さんを天才、坂本さんを奇才、その二人をつなぐ役割の自分は凡才だと言っていたというが、これは謙遜であることは誰もが知っている。
YMO全盛時、私やその仲間うちではユキヒロさんが3人の中で才が抜きん出ているように思っていた。なに「RYDEEN」を作曲したのはユキヒロさんなんだから!
ユキヒロさんの魅力を知るために彼がYMOの前に活動していたサディスティックミカバンドの曲を聴いたりもした。
高橋幸宏さんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます(合掌)
お七夜 [f]

私が訪問したのは22時を少し回っていた。当然といえば当然、境内の人影はまばら、屋台やお店も全て閉まっている。
反対に厳かな雰囲気と静けさが良かった。
京店ギャートルズ広場 [f]

この存在は全く知らなかった。聞くところによると、『はじめ人間ギャートルズ』の作者・園山俊二氏はこの松江市の出身とのこと。
私が宿泊したホテルの1階には園山俊二氏が描いた漫画のキャラクターグッズやノベルティなどを取り扱うショップがあった。残念ながら休業日であったため見学も購入もできなかった。次回松江を訪問する理由がもう一つできた。
閑話休題、『はじめ人間ギャートルズ』は私が小学生の頃テレビで放映されており、ナンセンスさが私は大好きだった。
今回、この広場を見るまで、このアニメの存在をすっかり忘れていた。
この広場では定時になるとこのアニメのエンディングテーマが流れるようで、今回偶然聞くことができた。
ちなみに『はじめ人間ギャートルズ』のオープニングテーマ曲は♪はじめ人間ゴンゴンゴーン♫という好い加減な感じのもので、それはそれで内容にマッチしていた。
そしてエンディングは一転、♫なんにもない なんにもない まったくなんにもない
生まれた生まれたなにが生まれた♪という歌詞もメロディーも哀愁漂うものだった。
当時のアニメのエンディングは味わい深いものが多かったなぁと、思いを馳せた。
松江城夜景 [f]

今回は残念ながら松江城の登城は時間がなくてかなわなかった。
やむなく夜訪問し、天守を仰ぎ見た。ライトアップがされ綺麗だった。
閑話休題、松江城天守閣は国宝である。江戸時代に建てられ現存する天守は12城、うち国宝は5つ。そのうちの一つが松江城になる。
松江城には過去二度行ったことがあるが、次回またゆっくり訪問したい。その時は松江市内もじっくり味わいたい。
月山富田城跡に行ってきました [f]

初めてここに来たときは、まだ発掘中だったのか、荒々しいリアルな石垣を見て、「これこそホンモノだっ!」と感動したものだった。
私の記憶違いなのか、今回訪ねてみて当時の感動はなかった。38年前はまだ整備中だったのかな? 現在も石垣だけではあるものの、よく整備されていた。
閑話休題、月山富田城は尼子一族の居城で、毛利一族に攻め滅ぼされた。忠臣・山中鹿介の「われに艱難辛苦を与えたまえ」が有名。
城跡には鹿介の銅像がある。この像のことは記憶にあるから、まちがいなく38年前にも来たのだろう。
鳥取城に行ってきました [f]

この【丸く盛られたチャーハン】のような石垣は、崩れかけた石垣の補強のために積まれたものだという。実にキレイに積まれた見事な石垣で、行った甲斐があった。
閑話休題、鳥取城は豊臣秀吉の兵糧攻めで有名な城である。秀吉に対抗して城に立て籠もったのは毛利一党の吉川経家だった。
毛利の援軍は秀吉軍の固い守りを突発できず、鳥取城内は食糧不足で凄惨な状況となる。結句、経家は自分の命と引き換えに城内に立て籠もる兵士らを助けた。
先の巻石垣は江戸時代のものであるので、吉川経家とは関係ない。けれど、大手門横には吉川経家像が建てられている。鳥取の人たちは経家公のことを決して忘れてはいないのだ。