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中森明菜を通して見た文明論 [f]

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少し前(2023年5月18日)の中日新聞にスージー鈴木氏のコラムが掲載された。

タイトルは『「東京」と戦った中森明菜』。

以下は私の意訳。

中森明菜が活躍した1980年代半ばから後半の東京はキラキラと輝く特別な存在であり、一種近寄り難いものがあった。

中森明菜はそうした「東京」に媚びることなく、真っ向勝負してスターの座を勝ち得た。

裏返せば、「東京」という存在がなければ、中森明菜は生まれなかったということになる。


スージー鈴木氏は、あの頃の「東京」がなくなった今、中森明菜のような女性シンガーが生まれるわけがない、という結論に至る。

氏の鋭い見解に唸らされた。


閑話休題、同時代のライバルであった松田聖子をスージー鈴木氏はどう位置づけるのであろうか?


松田聖子は「東京」と戦ったのだろうか?

そう考えると、同時代を生きた我々は一晩中蘊蓄を語れそうな気がする。
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藤堂高虎ゆかりの「黄金の茶道具」 [f]

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本日(2023年5月28日)の中日新聞に、豊臣秀吉が藤堂高虎に授けた褒美との伝承が残る「黄金の茶道具」がオークションにて3億円で落札されたという記事が掲載されている。

数日前の報道で、この茶道具がオークションに出品されるとあったが、その続報である。

写真で見る限り、ピカピカに輝き保存状態がとても良い。このような第一級の品が現代まで伝わっていることに驚いた。

また、秀吉が藤堂高虎にこのような高貴な茶道具を贈っている事実にもびっくりした。

藤堂高虎は豊臣秀吉の弟の秀長に仕え、秀長の死後は一時、高野山に入っている。

秀吉が自らに仕えるよう命じたところ、それを断っての入山である。理由は秀長の菩提を弔うためであるが、裏返せば高虎の価値観では秀吉に仕える価値はないと判断したのではないだろうか?


すでに天下人であった秀吉に逆らうことは死を意味するが、秀吉はそれをしなかった。戦国武将藤堂高虎の実力を高く評価したからであろう。


秀吉の三顧の礼に応え、高虎は下山し、秀吉に仕え、水軍を引き連れて朝鮮出兵も行っている。


この黄金の茶道具がどのタイミングで行われたのかは興味がある。(記事にはその記載はない。もっとも伝承との注釈がつくのであるが。)

後に藤堂高虎は徳川家康と懇意になり、徳川三代に仕え、外様ながら信頼度は抜群であった。そんな高虎が秀吉からこんな高価なものを贈られていたのは興味深い。

閑話休題、この藤堂高虎ゆかりの茶道具を落札したのは茨城の美術館である。高虎が治めた津や三重県、あるいは高虎縁深い地域の美術館に落札してほしかったと思う。
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