『星の王子さま』 [本のブルース]
いつ読んだか忘れたが、昔、一度は読んでいるはず。 恥ずかしながら内容は全く覚えてない。
今回、新潮文庫版で読み直すと、新たな発見が多くて、これは座右の書になる1冊だと思う。
大人は大切なことを忘れやすい。 何度もこの本を読み直せば、人生で大切なことを自然と忘れないでいられるだろう。
新潮文庫版はイラストもカラーで美しく、紙も上質で訳も良い。座右の書にするには文庫ながらピッタリである。
伊東潤『琉球警察』 [本のブルース]
面白い本というのはスキマ時間をみつけてでも読みたくなる。
私は遅読だから一晩で一気読みとまではいかないが、かなり早いペースで読んだ。
やっぱり伊東潤は面白い。
今までの伊東潤は歴史物イメージだったが、本作は戦後すぐから昭和35年くらいまでの沖縄が舞台。 今が令和だから、昭和のこの頃となるともう歴史物の域になるのだろうか?
閑話休題、どの過去も現在につながっているのは間違いないが、時間が経てばその影響度は薄くなるのが普通だろう。
本作を読みながら、4年前に初めて行った沖縄を思い出していた。 あの明るい光景の裏側にはこのような歴史があったのか、と驚く。
今もって沖縄の歴史は動いている。本作は単なる過去の話ではなく、現在進行形なのだ。
評論家の縄田一男氏は日経新聞(2021年7月15日)にこう書いている。
「伊東潤の意欲あふれる問題作と言えよう。」
『直感で発想 論理で検証 哲学で跳躍』 [本のブルース]
2月は早いもので今日で終わり。
明日から3月、弥生、ひな祭りだ。
今月は他の月より2日ないし3日少ない上に祝日が2回もあって働く日数が少ないと言っている方もみえる。
私の休暇は日曜や祝日は関係ないので今日も仕事ができる。コロナの影響で失業される方も多い中有り難いことだ。
閑話休題、タイトルに掲げた本を読んだ。 著者の伊丹氏の本を私は若い頃から読み、勉強させてもらっている。
この本の結論はタイトルに集約されているものの、中に書いてあることを丹念に読むことで納得度が高まり得心する。
特に跳躍が大切で、いくら勉強したり、直感が鋭くても行動しなければ何も起きない。 本書に書いてあるように跳躍とは、ただ跳ぶだけでなく、走り続けることも含む。 走り続ける力を支えるのが論理だ。
経営者の方には自分の経営手法を検証する上でもオススメの1冊である。
今月も拙文をお読みいただきありがとうございます。 来月もよろしくお願いいたします(拝)
知の巨人同士の対談 [本のブルース]
少し前の話で恐縮だが、半藤一利さんがお亡くなりになられた。
つつしんでご冥福をお祈り申しあげます。
今さらながら半藤一利さんと出口治明さんの対談を読んだ。 お二人ともまさしく「知の巨人」という表現がピッタリくる。
そのお二人の対談内容は私が知らないことばかりで興味がつきない。 振り返って自分の不勉強ぶりを実感した次第である。
その半藤一利さんがご自身のことを勉強不足と言われるのは決して謙遜ではなく、ご自分より先輩にあたる旧制高校時代の学生の勉強ぶりと比較してのことである。 旧制高校の学生の読書量は半藤さんからみても多く、また海外の本は原書で読んでいたなどの逸話が披露されていた。
ちなみにこの旧制高校の学生と軍人とは受けている教育が違うし、もっと溯れば明治時代の人たちもよく勉強したようである。
そういった先達に比べれば勉強不足と半藤さんはご自身のことを言ってみえる。ましてや現代の大方の日本人の勉強量の少なさは言うまでもないことである。日本が悪くなっていくはずだ。
閑話休題、対談の中で半藤一利さんは「ヒトラーがなぜ権力を握ることができたのかを解明するまでは死んでも死にきれない」という意味のことを言ってみえた。果たして解明されたのだろうか。
『北条五代』 [本のブルース]
『北条五代』を読了。
この作品は火坂雅志氏の遺作であり、未完の書を伊東潤氏が引き継いで完成させたというもの。 このような形式の本を読んだのは私も初めてだ。
閑話休題、戦国有数の大大名だった北条一族を不勉強の私はあまり知らない。 開祖の早雲公が伊勢新九郎と名乗っていた事から私は伊勢出身と早合点していたが、元々は京都で足利家に仕えていたようだ。
北条治世の根幹は四公六民という年貢政策で、税金を軽くすることで領国の民を富ませ城下を賑わし、ひいては自国の地力がつき、北条家も潤うというやり方だ。 すなわち、経世済民の政策である。
おそらく北条家のピークは三代目あたりで、その後ゆるやかに落ち目となり、五代目で命運は尽きるが、それも豊臣秀吉という強大な存在があったからに他ならない。 もっと言えば織田信長という類稀な覇王がいなければ、北条家が五代で終わることなく、また日本の戦国時代はもっと長く続いたか、別の形の国家になったのではないか、という考えが浮かんだ。
北条家は決して弱いわけでもなく、さりとて圧倒的に強かったわけでもない。 なるほど関東を手中に収めたが、それまでには多大な時間と労力がかかっている。常に周囲の大名と戦うか調略に明け暮れ、なんとか勝ち越した感じだ。北条氏と比べると一代で領土をあれだけ拡大した信長はやはり突出した存在だということがよくわかる。
北条五代とはなんだったかといえば、
「われら北条家は上に誰も頂かず、われらの考える仕置をしてきた」(下巻409p)であり、
「上に誰も頂かないからこそ、北条家だったのだ」(同)ということになる。
北条家五代100年の仕置は、江戸時代徳川家260年には及ばないものの、織田家や豊臣家よりは遥かに長い。北条家とは天晴、関東の覇王にして民のための政をなし、民から慕われた戦国大名らしからぬ一族だったのだと感じ入った。
座右の書 [本のブルース]
最近読んだ自己啓発書2冊。
出口治明著『座右の書『貞観政要』』。
こちらの本の内容は立派すぎると感じた。
中央政界や影響力のある会社幹部が読むべきであろう。
もう1冊は、為末大著『生き抜くチカラ』。
これは子供向けの本だが、もちろん大人にも為になる。
イラストがかわいい。
50年以上生きてきたわが身を振り返り、反省と共感の入り混じる1冊でした。
100分で名著 [本のブルース]
NHKの「100分で名著」、今月は『資本論』。
わかりやすく、見ごたえあり。
昔々、大学で教えてもらったことを思い出しながら見ている。 当時、全国で『資本論』を教えている大学は2校というウワサも聞いたことがあった。
当時教えてもらっていた熱血漢のN先生は今もお元気だろうか?
閑話休題、私の先輩方の世代は『資本論』を知らない者(読んで理解していない者)は大学生ではないという時代であったらしい。
それが学生運動が廃れるのに合わせて『資本論』は読まれなくなり、経済原論は近代経済学一色になった。
それがまたちょっとした『資本論』ブームになっている。
N先生は言っていたなぁ。ケインズは資本論の焼き直しであり、資本論は国富論の焼き直しだと。
松尾清貴『ちえもん』小学館 [本のブルース]
図書館に返す日に間に合わず、残念ながら途中までしか読めなかったが、内容は濃く読みごたえがあった。また、章立ても凝っていて斬新な感じがした。
主人公は江戸時代中期の実在した人物らしい。よくこのような人を探し出したものだと感心する。 考えてみれば有名な歴史上の人物は書き尽くされた感がある。そうなってくると完全な創作物か、こうした地域に埋もれた偉人伝がこれからますます増えるのではないかという気がする。
たとえば谷川士清のような人物を新進気鋭の作家が書くことも今後起こるかもしれない。むしろそれを期待したい。
閑話休題、話を『ちえもん』に戻そう。
ちえもんとは、知恵のある者という意味で、主人公は知恵のある商人(あきんど)だ。 彼には気概ある。 それは権力に頼まず己の才覚で勝負するという心意気に他ならない。
明日は今日の続きと考えず常に挑み続ける姿勢。 社会秩序が今よりも固まっていた江戸時代においてそれは起業家精神などという生易しいものではなく命がけの挑戦といってよい。 再度読み直し完読したい1冊。
辻堂ゆめ『十の輪をくぐる』小学館、2020年 [本のブルース]
辻堂ゆめさんの『十の輪をくぐる』を読んだ。
年初から素晴らしい本に出会え感動している。
こんな話を書けるのはどんな人かと思い著者略歴を見ると、なんとまだ20代の若者ではないか 正直驚いた。
細部をしっかり書き上げながら帯評にある様に大河ドラマを見るような流れを作る著者の構想力に舌を巻く。
主人公の一人【万津子】の過去の生活の描写はまるで作者の実体験のようにイキイキとしている。 1990年神奈川県生まれの辻堂氏が昭和30年代の九州の炭鉱や農村の生活、あるいは愛知県一宮市の紡績工場で働く女工さんの仕事ぶりを知識としては知り得ても体験どころか見ることすらできない。
それをまるで自叙伝のようなリアルさで書いていることに驚嘆した。 辻堂氏は自身のブログの中で「自分がこのようなことを書いていいのか何度も自問自答した」という意のことを書いている。 実際にその頃の炭鉱や紡績工場で働いた人でご存命の方も現在おみえであるし、なんとなくその頃の雰囲気がわかる昭和生まれの人間の数はもっと多い。それらの人に嘘くさいとか、地に足がついてないと思われたらこの小説は成り立たない。
辻堂氏はその難しい課題に挑戦し、見事書き上げた。 さぞやたくさんの参考文献を読まれたのであろう、と思いそのリストを見た。
私はここで二度感動した。
参考文献の書き方が研究者のそれであったからである。 すなわち、著者→書名→出版社の順で掲載している。多くの作家や文筆家は参考文献を書名から掲げることが多い。最近では研究者もこのルールを知らないことがある。惜しむらくは出版年が記載されていないことだがそれはスルーしよう。
閑話休題、下記は私の断片的な感想。
■全体的な雰囲気が山田宗樹氏の『嫌われ松子の一生』と共通したものを感じる。万津子は松子へのオマージュか?あるいはもっと単純に子だくさんの農家における末子を転じたものなのだろうか。
■後半の万津子の母の言動を読みある農家の女性を想起した。農村の閉鎖性というのは所が違っても似ているのだろうか。
■作者は過去のことだけでなく、現代の会社事情もよく知っている。作者プロフィールによれば会社勤めの経験ありとのこと。
昨年2020年に行われるはずだった東京オリンピック。タイトルにある【十の輪】は1964年と2020年の2回の東京オリンピックを表している、というのを何かの書評で読んだ。 題名の付け方が実に上手い。二つのオリンピックをくぐる親・子・孫三代にわたるオリンピック話。それを単なるスポ根ものではなく、家族の物語として紡ぎ出したのが辻堂ゆめさんの真骨頂。
1964年生まれの私がこの本に出会えたことにしみじみとした幸せを感じる。