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『メモの魔力』 [本のブルース]

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この本がベストセラーになった理由は同書116pにあります。


「本書は、単なるメモや思考術のノウハウ本ではありません。」


「すべてのノウハウを超えて最も知るべきことは、自分を串刺しにする本質的な人生の軸です」


そのためのメモ術が紹介されてます。ゆえに読まれるわけです。

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なつかしや、ポプラ社 [本のブルース]

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ホリエモンの『理不尽に逆らえ。』の紹介です。


以前にも書きましたように、なんとなくホリエモンこと堀江貴文氏の著書を買って読んでしまいました。


その理由は、(私にとって)刺激的で、参考になる提言や新しい情報を知ることができるからです。


情報に関しては、「新書で知る」ということはかなり遅れているということになりますが、「私にとっては」知らないことということです。


本書は、標題にもありますように、若い人(10代~20代前半)にはとても参考になる内容かと思います。(でも、この通りに全てやってしまうと実社会では異端児になるでしょうけどね。)



閑話休題、この本の出版元がポプラ社さん(ポプラ新書)というところが私には懐かしい。


私の世代では、ポプラ社というのは偕成社と並んで伝記物など児童向けの本を出版されている二大出版社でした。


そのポプラ社さんが青少年向けにこのような新書を出版されていることを嬉しく思った次第です。


【追記】

ポプラ社は新書の創刊に「未来への挑戦!」というキャッチコピーを掲げています。


同社は「創業の原点にもどり、ここにポプラ新書を創刊するものです」と宣言されています。


子ども時代にポプラ社の本を読んだ今の大人たちは果たして、同社が願ったように「すくすく成長」したでしょうか?

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意外と毒がありました [本のブルース]

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40数年ぶりに星新一の『ボッコちゃん』を読みました。


ご存じの方も多いと思いますが、星新一はショートショートの名手、というよりもその分野を確立した第一人者であります。


初めて私が星新一を読んだのは中学生の時で、見事にはまってたくさん読んだものでした。


閑話休題、『ボッコちゃん』は星新一の著作の中でも特に有名な短編集で、表題の「ボッコちゃん」の他にも「おーい でてこーい」とか、「最後の地球人」など傑作ぞろいです。


40数年ぶりに読んで驚いたのは、星新一のショートショートというのは「意外と毒がある」ということでした。


私の記憶では、星新一はスマートで、毒があるのは筒井康隆のショートショートだったからです。


『ボッコちゃん』に収録されている「闇の眼」という作品などは話の筋もよく覚えていたのですが、これまで筒井康隆の作品だとずーっと記憶違いしてました。どこかで記憶が入れ替わったんでしょうね。


それと新潮文庫版『ボッコちゃん』の解説を筒井康隆が書いていることも今回再読して発見しました。


ご関心をもたれた方はぜひ読んでみてください。

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漱石は元祖「ライトノベル?」 [本のブルース]

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何かで読んだのですが、夏目漱石は元祖「ライトノベル」作家ではないか??というご指摘がありました。


夏目漱石といえば「文豪」と称されますが、当時の知識人の文体から見れば今でいうとこrの「ライトノベル」なんじゃないの?と、いうのがその文章の主旨でした。


ゆえに現在、ライトノベルと言われる作品(作家)も100年後、今とは違った評価を受ける可能性があるかも・・・。これは「ある・ある」という気がします。


なるほど、夏目漱石の文章を読むと、さほど読みにくくなく、むしろ読みやすい。


明治期の古文ではなくて、現代と同じ文体、その瑞々しさに驚きました。


閑話休題、漱石の代表作の一つ『こころ』


簡単に言えば、恋愛小説で、三角関係のもつれのあげく、友人Kを裏切った「先生」は長年悩んだ末に自殺するという話です。


現代のこうした話のような「ドロドロ感」はなく、むしろ“心理戦”のような感じで、しかもそこに人間不信、都会と田舎・親と子の価値観の相違などを織り交ぜて、素晴らしい文体でストーリーを紡ぎだした結果、夏目漱石は「文豪」と言われることとなりました。(←完全に私見です。)


私の知り合いで、たくさんの本を読んでいる方が、現代ものの作家も含めて1冊選ぶとすると夏目漱石の『こころ』を選びますと、おっしゃっていました。


『こころ』は凄い、人間の全てがそこに表現されています、というのがその方の評価です。


そうしたご推薦もあって私は『こころ』を初めて通読しました。


中学だったか、高校だったかの教科書に一部掲載されていて、授業で解説を聞いたことを微かに覚えています。


思えば、キワドイ描写はないものの、このような作品を中高生に授業で教えるのはちと酷な気がしました。


夏目漱石、続けて読んでみようかと思う一作でした。

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『還暦からの底力』 [本のブルース]

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久しぶりの本紹介です。


出口治明さんの『還暦からの底力』


タイトルからいって読者ターゲット層は50〜60代の方になりますが、内容は必ずしもそうではありません。 若い方が読んでも参考になる話が満載です。


大きく言えば、日本人のライフスタイルを変えようということをおっしゃってみえます。


キーワードは、「飯・風呂・寝る」の生活から「人・本・旅」へ、です。


日本人の労働時間は昔に比べ短くなっているものの、欧米に比べるとまだ長いでしょう。(一般的に日本の中小企業はその傾向が顕著です。)


その上、仕事帰りの「飲み会」なんかもあって、仕事をしている人に勉強する時間は普通ありません。そのため「飯・風呂・寝る」の生活になりがちです。


そうではなく、早く職場を出ていろいろなことを学ぶべきであり、それを出口さんは「人・本・旅」とまとめられました。


すなわち、たくさんの人に会い、たくさんの本を読み、いろんなところに出かけて刺激を受けることが重要であるということです。


みんなが学びを続ければ、日本人の好きな精神論は排除され、「数字・ファクト・ロジック」で語られるようになる。


そうすれば自分自身も、そしてこの国ももっとよくなるはずだ、と出口さんは言われます。


つまり、「教養=知識×考える力」という社会にしようということです。


閑話休題、出口治明氏は三重県の旧美杉村のご出身です。


日本生命入社後、出世されますが、最後は左遷されて会社を去ったそうです。(ご著書の中でその事情は書かれています。左遷は周囲の評価であって、ご本人はそれを左遷とは思っておられません。人類の歴史を見ればそれは当たり前のことだと飄々とされてます。)


その後ライフネット生命を立ち上げ、今はAPUの学長であられます。


読書家としても知られ、読まれた本は1万冊以上とか。しかもその中には古今東西の古典が含まれるので遅読の私には想像できない読書量です。 ご著書もたくさんあります。


私が尊敬する現代人のお一人です。

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最新巻も売り切れとか? [本のブルース]

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『鬼滅の刃』の最新巻を借りて読みました。


鬼との戦いはいよいよ佳境に 巷ではこの最新巻も売り切れてるそうですね !


漫画がオモシロイことはもちろんですが、私はこの作者がどのように育ってきたかに興味があります。


本作の発想やネーミングの仕方などどのような経緯で生まれたのか、その背景を知りたいものです。

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えっ!売ってるの?『鬼滅の刃』 [本のブルース]

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読む本はたくさんあるのに(読んでないのがたまってます)「外出自粛」を理由にまた本を探しに行ってしまう。


そうしたら入手困難と言われている『鬼滅の刃』の第2・3巻があったので買い求めてしまいました。


まだ2巻しか読んでませんが中々面白いです。


それにしても『少年ジャンプ』というのはやっぱりスゴイですね!!


こうしてコンスタントにヒット作を世に送り続けている。


たしかに雑誌の発行部数はピーク時に比べずいぶんと減っているようですが、それは電子書籍やその他の理由からやむを得ないもの。


雑誌のシェア的にはどうなのでしょうか?


新型コロナウイルスのため『鬼滅の刃』の最新刊も遅れるようですし、『週刊少年ジャンプ』も発刊延期となるそうです。そんなニュースに接すると危機感がますます募ります。

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島耕作 [本のブルース]

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先日、写真だけアップして文章を付け忘れました。申し訳ない。


さて、外出を控え、自宅に籠る(?)準備として本屋さんに行ったら『相談役 島耕作 第1巻』が並んでいました。


1983年『課長』としてスタートした島耕作は出世街道を上り詰め、社長・会長そしてついに相談役です。


私は、課長時代から読み始め、ずーっと読み続けました。


そして、振り返って思うのはやっぱり一番おもしろかったのは課長時代だったなぁ、と。


なぜか?


課長時代は、公(仕事)と私(プライベート)の話がうまくかみ合い重層的な人間模様が描かれていました。


島耕作の地位が上がるにつれ、公私のからみが少なくなり、やがてほとんどが「公」(仕事)ばかりになっていくのは読んでいてそれなりに面白いものの深みがない気がします。


まぁ作者としてもプライベート部分は描きにくいんでしょうな?!


閑話休題、この『相談役 島耕作 第1巻』では島耕作のかつての上司だった万亀元社長(元会長・元相談役)が逝去しました。


この万亀氏が最初に登場したのは広報室長でしたか?脇役のそのまた脇くらいだったのになぜか出世していきます。


まぁそれにしてもこの万亀さんの死に際もかなりあっさりと描かれているのですが、島シリーズで思い出すのは『課長』時代の宇佐美元専務が他界する話です。


初芝電産の揺籃時代から会社に尽くし、最後社長のポストを争って、結果社長にはなれず会社を去る宇佐美専務。するとそれを待っていたかのように病魔が彼を襲い、あっという間にあの世に旅立つのですが、死ぬ直前に挿入れたエピソードはなんとも切ないけれど人間味のある話でした。


現代のサラリーマンのファンタジーである島耕作シリーズ。サラリーマンにとって出世は醍醐味でありますが、出世競争に負けて会社を去るときに初めてその虚しさにサラリーマンは気づきます。島耕作のように最高地位を極めたサラリーマンに限って言えばその虚しさとは無縁と思います。


それとも、これからそういう気持ちを彼も味わう時が来るのでしょうか?

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『パリわずらい 江戸わずらい』その2 [本のブルース]

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昨日書いた『パリわずらい 江戸わずらい』の続きです。


世間の善意を信じようとせず、について考えてみました。


私たちの若い頃にボランティア活動というのは皆無に等しく、私の記憶では1995年の阪神淡路大震災を契機に世の中が変わった気がします。


ある地域が甚大な被害を受けた時、被害のなかった地域の人たちがボランティアとして助けるという活動はこの時から一般的になりました。(私見です、以下同様)


それまではどうだったのでしょうか?


1959年の伊勢湾台風の時にそのような話があったかどうか、私は寡聞のためか知りません。 この時自衛隊が復旧活動に大活躍した話は聞いたことがあります。


もっと前、太平洋戦争の時は全国民が被災者であるので助けに行く人がいません。


もっとも疎開先があったように戦災を受けた都市部に比べ空襲がなかった田舎は余裕があったのでしょうが、今のようなボランティアの話はないように思います。


これは、昔の日本は貧しかったので隣人を助ける余裕がなかったのだと私は見ています。


私の父は戦時中そして戦後すぐの頃、子どもであったためうまく配給がもらえず、心無い大人に横取りされたという話をよくしていました。父はその恨みを終生持ち続けていました。


閑話休題、浅田次郎氏の家は代々江戸っ子で、父母・祖父母に連なる方々が東京大空襲や関東大震災、そして明治の御維新の際に大変ご苦労されたとエッセイとかに書かれています。


他人様にひどい目にあわされたと聞けば、そうやすやすと世間の善意なるものを信じることはできないでしょう。


悲しい言葉ですが、昔は人を見れば泥棒と思えと言いました。 今も災害にあわれた地域ではそのような行為もあるそうなことも聞きます。


浅田さんが言う意味はこういうことなのかぁと想像してみました。

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『パリわずらい 江戸わずらい』 [本のブルース]

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やっぱり浅田次郎さんの本はいいです。


といってもハードカバーは基本買わないので熱心なファンとは言えないですが(苦笑)


さて、本書はJAL機内誌に連載されたエッセイをまとめた第三集であるとのこと。


第一・第二集のこと知らなかったなぁー(苦笑2)


本書の中でもとりわけ「アメニティ・グッズ」は大いに共感して読みました。


浅田氏は宿泊したホテルや旅館のアメニティ・グッズを持ち帰るのが常で自宅にはそれらが溢れかえっていると書いています。


浅田氏とは旅行の頻度が違うので氏ほどではないものの私の家にも旅先から持ち帰ったアメニティ・グッズが結構あったりします。


もちろん浅田氏も私も【持ち帰り可】のものしかないことは言うまでもありません。


このアメニティ・グッズから浅田氏は団塊の世代を鋭く分析されます。 長文になりますが引用させてもらいます。


同書集英社文庫版190pから。


「どうやら、物のない時代に生まれたあと、急激な経済成長に遭遇した私たちの世代は、貧しかった父母たちよりももっと使い捨ての文化になじめぬようである。物を大切にするという道徳を叩き込まれたあとで、物の氾濫する社会に身を置くこととなった。父母には節操があったし、子供らは余分な物を欲しがらぬ。しかし団塊世代の私たちはおしなべて、世間の善意を信じようとせず、タダなら貰っておくのである。さて、こうした厄介な世代がいよいよまとめて高齢化するとなれば、その厄介さかげんは単純な数値では測れまい。量も量もだが、質も質なのである。」


私は団塊世代ではありませんが、同じような感覚です。


父母にはあった節操が私たちにはないと喝破されるのは流石としかいいようがありません。


おそらく若い世代も節操はないが、不要なモノを欲しがらないという点で団塊世代とは違います。


最後の量も量だが、質も質なのである、というのが効いています。


世間の善意を信じようとせずというところだけはよくわからないなぁ?

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