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大沢! [こんな音楽を聴いてきました]



少し前にも書きましたが、1987年に石川県で行われた野外コンサート(今流に言えばフェスになるのかな?)で伝説のおおトリをつとめた大沢誉志幸。⇒http://www.youtube.com/watch?v=RF_Uq8aYh74

彼を初めて知ったのは日清のカップヌードルCMに使われた名曲「そして僕は、途方に暮れる」でした。


その「そして僕は、・・・」も収録したアルバムが『CONFUSION』であります。


日清のカップヌードルCMの映像はインパクトがあり、その映像の良さを際立たせたのが大沢さんの楽曲でした。


閑話休題、このLP、冒頭にガツーンとくる“コンフュージョンンン・・”という大沢さんのシャウトはめっちゃカッコいいんです!


そして忘れちゃならないのが「その気×××」。これもCMの曲でした(資生堂の、きわどいやつ)。


2~3年前に復刻版が出たらしく、今回買っちゃいました。最近、こういう買い物が多いです。(年とった証拠だなぁface07
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サマータイム・ブルース [こんな音楽を聴いてきました]



中日新聞に『犠牲の灯り』という連載が組まれています。

第5部は「サマータイム・ブルース」というタイトルで、6月24日・25日は“清志郎通り”という記事が出ていました。

脱原発を訴えるデモが官邸前で毎週金曜日に行われているそうで、そこでは忌野清志郎がボーカルのRCサクセションの曲が流されるようです。


チェルノブイリの事故の後、RCが歌っていた反原発の唄が「サマータイム・ブルース」でした。

この曲はエディ・コクランのナンバーをカバーしたものです。他にもカバー、つまり替え歌ばかりを集めたアルバム「カバーズ」を発売しようとしたところ、当時、RCのレコードを出していた東芝EMIが親会社の東芝の意向を汲んで発売を中止したのが世に言う「RC発売中止事件」でした。(言うまでもないことですが、東芝は原子炉メーカーです。)


結局、このアルバムは、2か月後、RCがマイナー時代にお世話になっていた古巣Kitty(キティー)から発売されることになります。


アルバムに入っているカバー曲は名曲ぞろいで、清志郎の天才的な作詞能力が存分に発揮された名盤です。


プレスリーの代表曲「ラヴ・ミー・テンダー」は次のように替えられています。


“何 言ってんだー ふざけんじゃねぇー 核などいらねぇ・・・”


この『カバーズ』に収録された曲を中心にしたライブ盤『コブラの悩み』がまた秀逸でした。

「I SHALL BE RELEASED」では、

“権力を振り回す奴らが またわがままを言う  俺を黙らせようとしたが かえって宣伝になってしまったとさ”

と歌い、あの発禁事件そのものを逆手に取った歌詞にファンらは溜飲を下げました。


「軽薄なジャーナリスト」では、

“軽薄なジャーナリズムにのるくらいなら 軽薄なヒロイズムに踊らされるくらいなら  そんな目にあうくらいならあの発電所の中で眠りたい”


というフレーズにドキリとした心あるマスコミも多かったことでしょう。


まるでその後の風潮を予言したような歌詞のとおり、この国のジャーナリズムは問題を掘り下げることもなく、あんなに盛り上がった反原発運動もいつしか下火に・・・。そしてその四半世紀後、あの不幸な事故が起きたわけです。


前にも書きましたが、清志郎がもし、生きていたら、彼は何を歌い、どんな行動を起こしたでしょうか?


全く予想がつきません。そして清志郎がしたであろうと思われるようなことをするミュージシャンも出現していないと思います。
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PINK 『ULTIMATE』 [こんな音楽を聴いてきました]



先日、名古屋へ行った際、久しぶりに名駅のタワーレコードに立ち寄り、このCDを発見し、即購入しました。

PINK・・・1980年代に活動したバンドです。ディープなファンがついていました。(商業的に成功したとは言えません。)


閑話休題、1980年代半ばから後半にかけて石川県津幡にある森林公園で、「POP HILL」という野外イベント(ロックコンサート)が、毎年夏に行われていました。


1986年の出演は米米クラブ、爆風スランプ、バービーボーイズ、アン・ルイス、RCサクセションという超豪華メンバー。その時、トップを飾ったのがこの「PINK」でした。(米米は当時まだ、一般的に知られておらず、前座に近い感じでした。アン・ルイス、RCがこのイベントの目玉。Runnerがヒットする前の爆風スランプは中堅どころの扱いでした。当時、爆風はバービーボーイズよりも格上でしたが、バービーが遅刻したために爆風が先に演奏するというアクシデントがありました。)


話をPINKに戻します。すでに彼らは『PINK』と『光の子』という2枚のアルバムを出していましたが、わたしはその存在を知らず、あまり期待せずにオープニングの彼らの演奏をぼんやりと会場の後の方から眺めていました。(なにせ暑く、わたしの目的はRCです。トリのRCまで体力を温存しようという姑息な考えです。すでに考え方が老化してたなぁ・・・)



彼らの演奏はすごいものでした。最初の曲がアルバム『光の子』と同じで、カッコよすぎました。


その日のPOPHILLのライブはどれも素晴らしく、興奮したまま原チャリ(ヤマハJOG)で帰宅したのが懐かしい思い出です。(その頃見たLIVEで一等よかった。)


それは大学4年の夏でした。当時は大学4年が就職活動の年で、1986年(昭和61年)は就職協定が変わり、解禁日がそれまでの10月1日から8月20日になった年でした。男女雇用機会均等法元年でもありました。


それでもシューカツという言葉さえなかった時代、今の若者と比べればなんとものんびりした就職活動でした。


このコンサートを見に行ったのは、その8月20日の解禁前だったか、後だったかは思い出せませんが、とにかく就職活動の真っ只中に行ったことは間違いありません。会社からの電話があるのではないかと心配しながらも、行ってよかったと思ったLIVEでした。(携帯はもちろんありませんから、下宿にいないと電話が通じないのです。)


その夏からしばらくPINKにはまりました。今も『PINK』『光の子』『PSYCHO-DELICIOUS』の3枚のアルバムをダビングしたテープは家にあり、聴くことができます。(音は悪いです。)


今回、買ったこのPINKのベスト盤は選曲もよく、音も大変いいので購入して大正解です。願わくはオリジナルアルバム『PINK』と『光の子』はCDで再発売してほしいと思います。


ちなみに“ULTIMATE”・・・最終、最後という意味です。転じて最高という意味もあるようです。
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MADONNA/true blue [こんな音楽を聴いてきました]



このアルバムは1986年リリースで、当時、本当よく聴きました。

といっても、レンタルショップで借りてきて、テープにダビングしてでしたが・・・。まだその4半世紀以上前のテープは残っておりまして、しかもちゃんと鳴るのは鳴りますが、いかんせん音が悪い。ということで最近は昔、聴いた名盤(お気に入り)をネットで買ったり、CDをレンタルしてきます。


本作、マドンナの『トゥルー・ブルー』は借りてきました。


当時のマドンナはすでに超売れっ子で、このアルバムの前作『ライク・ア・ヴァージン』で、その人気を不動のものにしていました。


とはいえ、移り変わりの激しい音楽業界のこと、その後、今日までその人気を維持し、君臨するとは誰が予想したでありましょうや!!・・・・・・それが驚いたことに予想した方がおみえでしたのです。



このアルバムのライナーノーツを書いた“湯川れい子さん”がその人です。あたかも未来の彼女の活躍をまるで見たかのように、みごと彼女の魅力、音楽性の高さ、その後の人気ぶりを予言してみえました。


この時のマドンナは、ジャケット写真にその真価がよく表れていると思います。


セックスシンボルという言葉が枕詞でありながら、どこか高貴で、そして他を寄せ付けないものがありました。個人的にはこの頃のマドンナが一番好きであります。
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