ふと、通りかかって思い出した。

この小道の風景。

周囲は変わったが、この小道自体は変わってない。

かつてこの小道を抜けると「墓場球場」と呼ばれた広場があった。

小道の右側には使っていない古い建物があった。その建物は旧水産学部の校舎で、魚の幽霊が出ると言われていた。子どもには肝試しの場所だった。

閑話休題、なぜ、墓場球場かというと、この敷地の裏側に墓地が広がっていたから。なんとも不気味な場所だったが、子どもが草野球をやるには絶好の場所だった。

今から40年前に、立派な美術館が建てられ、古い校舎はなくなった。墓地は今でもあるが、誰も墓場美術館とは呼ばない。