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女性の活躍を妨げるもの [経営に関する世迷い言]





昨日(2018年3月24日)の日経新聞に興味深い論説が掲載されていたのでご紹介したい。

書き手は中央大学の山田昌弘氏。

テーマは「女性活用が進まない理由とその処方箋」。

女性活用される理由として、「日本において女性が家事・育児の責任者とされ、しかも、求められる水準が高いからである。重すぎる家事負担が女性の活躍を阻害しているのだ。」と、提議する。


そして、筒井淳也・立命館大教授の著書から「家事時間を削減しない共働き化には限界がある」を引用。

また、山口一男シカゴ大学教授の著書から「米国で家事の男女平等が達成されたのは男性の家事時間の増加ではなく、妻の家事時間削減によるもの」を引用。

では、なぜ、女性の家事が削減できないのか?それは、【「家事は女性の愛情表現」という意識が強いからだ】と喝破する。

そこで、ゲイカップルであれば、どうなるのかを神谷悠介著『ゲイカップルのワークライフバランス』から引用して、「男性であれば、家事が愛情表現とされ、高い水準を求められることはない」。そして、「家事がほとんど外部化されてミニマムになることを示した」とある。


山田氏の結論は、【まずは「家事=女性の愛情表現」という思い込みをやめて、家事削減の方法を考えることだ】。


私は常々、家事を外部化、すなわちサービス産業化できないかと考えていた。そうすれば女性が外で働きやすくなるし、雇用も創出して経済の活性化につながる。


戦前の家庭を描いたドラマや小説を読んでいると、お手伝いさんや奉公人といった人たちが登場する。


それはなにも大資本家や華族に限ったことではなかったのではないだろうか。

詳しく研究したことがない、門外漢の思いつき程度の意見をお許しいただきたい。

たとえば、夏目漱石の『坊ちゃん』においても、主人公の生家には家事を担う老女が住み込みで働いていたように思う。


どうしてその老女がその家で働いているのかを記憶していないが、小説になるくらいだから、当時はそういうことにあまり違和感がなかったのではないだろうか?


現代社会をみれば、家事代行サービスは一部の富裕層に限られるだろう。それは単に「意識」だけの問題ではなく、金銭的な障壁が高い。


かのヒットドラマ『逃げ恥』では、家事労働の価値は月19.4万円相当としていた。家事代行サービスをたのめば、年間240万円くらいのキャッシュアウトになる。


戦後の「夫仕事、妻家事」というモデルが普及した理由は、夫が外で仕事をして、女性が家事を専業にすることが、家庭収入を極大化できたからではないだろうか?(企業でいえば、下請けに出すのではなく、内製化した方が利益が出るということと同じかもしれない。)


しかし、そう合理的にばかり物事は考えられないだろう。女性が自分の学んだことや経験を社会で試して活躍したいと考えるのは自然なことだ。


山田氏の結論のように、まずは思い込みを止めることだろう。男女のカップルで、女性の方が仕事に向いていれば、女性が外で働き、男性が家事と育児をしてもよいのではないだろうか?もちろん本人たちがそれで満足すればではあるが。


意識の変革には時間がもう少し必要となるだろうが、それはそう遠くないことだと思う。



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