訃報 [TVの国から]
訃報に接し、この人でも死ぬんだなぁと思った。
なんとなく永遠の命というか、生命とかを超越しているというか、そもそも千年くらい前から生きているのような印象があった。
田村正和の代表作の一つ『パパはニュースキャスター』のセリフで、(正確に思い出せないが)、「亡くなったこの人たちは本当に十分生きたのだろうか」というのがあった。
田村さんは生前、「十分やり切った。自然にフェードアウトしたい」と言っていたそうだが、その言葉はおそらくこのセリフを意識してのことだろう。そして少し強がって言ったようにも聞こえる。
『パパはニュースキャスター』では先のセリフの次にこのセリフがくる。
「子どもが生まれたら、愛と書いて“めぐみ”という名前をつける。愛にめぐまれるようにだ」。(これも正確ではないと思うけど。)
この決めセリフをよくまねしたなァ。(芸能人だけでなく、一般人もよくまねした。マネしやすいから。)
謹んでご冥福をお祈りします。合掌
『おちょやん』千秋楽 [TVの国から]
朝ドラ『おちょやん』が本日、千秋楽を迎えた。
主人公の竹井千代、通称おちょやんの泣き笑いの人生は苦労の連続だった。
「これくらいのことで死んどったら今まで10回くらいは死んどるなぁ」というセリフが以前にあったが、その通りで並大抵の神経の持ち主であればよくてうつ病、悪くすれば自殺するようなことが何回も起きている。(明治から昭和を生きた人は現代人よりもストレス耐性はありそうではあるが。)
我々視聴者はそのたびに悲しんだり、安堵したりした。
閑話休題、このドラマは私たちに何を残したのか。
一つは、「今ある人生それが全て」。あの時こうすればというのは考えてもしようがない。もし、そちらの人生を歩めば今の人生で起きることは体験できない。
もう一つは、「生きるのはホンマにしんどぅて、おもろいなぁ」。これぞ「おちょやん」の真骨頂だろう。
「しんどぅて、おもろい」は悟りの境地だ。
イッセー尾形がみたい [TVの国から]
イッセー尾形が好きだ。
初めてテレビで彼を見たのはかれこれ40年くらい前だろうか? 高校の試験期間中で、当時は土曜日も授業があり、いつもならクラブ活動のところが、試験のため昼に帰宅した。 テレビをつけると『お笑いスター誕生』という番組がやっていて、司会はルパン三世の声優・山田康雄と中尾ミエ。審査員は唄子圭介師匠やタモリ、赤塚不二夫というメンバーだった。
出場するお笑い芸人はプロ・アマ問わずだったと思う。新しいお笑いに挑戦する人が多かった。
10週合格すると賞金の他なんか特典があったんじゃなかろうか。 私の不確かな記憶だが、10週合格して大成したのは「とんねるず」だけのような気がする。(最初はタカアキ&のりたけのコンビ名だった。)
10週合格できなかったけど、今も活躍するのがコロッケ、シティボーイズ、そしてイッセー尾形だ。
他にもミスター梅介、マギー司郎、おぼんこぼん、小柳トム、ファニーズらが出ていた。ファニーズ好きだったなあ。失礼しました、おぼんこぼん、小柳トム、ファニーズも10週合格組です。ファニーズはどこかに行っちゃったけどね。
閑話休題、イッセー尾形。 昔、イッセーさんの一人芝居を観に行って、公演後のサイン会で「【お笑いスタ誕】からのファンです」というと照れくさそうに笑われたのが忘れられない。
イッセーさんの演じた都市生活者は社会の決して片隅でもないし、底辺でもない。しかし、当時大勢を占めていた中流と呼ばれた人たちからはなんとなくバカにされているような人たちであり、その特徴をデフォルメして面白、可笑しく演じて見せ、最後は侘びしかったり寂しかったりするお芝居だった。
バーテン、英語教師、幸せ家族、接待に行くサラリーマン、そしてアトムおじさんなどなど。どれも忘れられない。
あれから30年以上が経ち、イッセーさんの演じる対象がついに日系ブラジル人になった。 ただ、社会の一隅で懸命に生きる人を真剣に演じるスタイルはなんら変わることがない。 演じる対象の変化は日本社会の変化なのだろう 大勢を占めた中流という存在がなくなったことが大きく影響しているのだと思う。
果たして日系ブラジル人二世や三世の方を通して見る日本人というのはいかなるものなのだろうか?!
またイッセーさんの舞台をナマで見たい。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回を観て [TVの国から]
1週間遅れで録画しておいた『麒麟がくる』最終回を観た。
今回の大河ドラマは、話の大筋こそ外さないものの定番となっているシーンを描かないことが多いと感じた。
たとえば、本能寺の変においては信長が最後に舞ったとされる「敦盛」の場面はない。(人生五十年・・・というアレである。)
光秀が愛宕山で戦勝を占うおみくじを引くところもない。 これらの話は後世の創作の可能性もあるのでなくてもかまわないのであるが、そうした定番を削ることは作り手側としては大きな決断がいることだろう。
閑話休題、そうした定番がない分、別の見せ場がふんだんにあったのが今回の大河ドラマ『麒麟がくる』の真骨頂だと私は思う。
従来の信長像をくつがえした染谷演じる信長の心情をあらわにする表情は絶品。最後の立ち廻りも好演であった。
一方、光秀は一度決めるとぶれない芯の通った人物に描かれていた。本能寺の変の三年後、足利義昭は「信長と光秀の二人は世の中を平和にしようというぶれない志があった」という意味のことを言う場面がある。
脚本家の池端氏は義昭の口を借りて光秀と信長の人物像を明確に定義付けた。 こうした一本気の性格の人間を演じるのに長谷川博己は長けている。(『シン・ゴジラ』がそうだ。) 背筋の伸びた光秀が騎乗して去りゆくエンドは決して悲しい場面ではないのだが、見ていて涙が出てきた。
最終回では光秀と信長の若い頃の回想シーンがいくつかあった。大河ドラマを見ていていつも思うのは、人間は若い頃が一番いいということだ。それはある種の純粋さと潔さ、そして希望と夢があるから美しくもたくましい。 今回の大河も良かったと思う。
久々のパンチアウトなるか?!そして、春奈帰蝶のこと [TVの国から]
今月は1日から本日までブログを毎日アップしている。久しぶりに1か月連続の投稿ができそうだ。 そこでブログの左横のカレンダーに毎日丸印が付いているのを見て「パンチアウト」という言葉が思い浮かんだ。
閑話休題、写真はNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で川口春奈さんが演じる織田信長の正妻「帰蝶」。 帰蝶役では歴代最高という呼び声が上がるくらいに出来栄えは上々。
思い起こせば川口春奈さんは某女優が降板したことによる急遽の代役だ。 某女優もこの役を務めていたら春奈帰蝶とは全く違う感じでハマリ役だったのではないかと想像する。
川口春奈さんの場合はフレッシュ感が光り、今回の大河ドラマのムードにもよく合っていたような気がする。
それにしても『麒麟がくる』での帰蝶の役割は従来のイメージとは全く違う大胆な解釈で興味深かった。 今回の帰蝶は信長をプロデュースし、更には父道三に意見するような策士ぶりを発揮した。
史実では帰蝶の生没年は不詳だったように記憶する。 長い大河ドラマの歴史においても信長の正妻として帰蝶が本能寺の変まで一緒にいるようなこともあれば、反対に信長とはあまり反りがあわず早々と信長のもとを離れる役回りで出演の機会がなくなることもある。(そういうときはだいたい側室の吉野がクローズアップされる。)
今回は前者であり、しかも主人公の明智光秀とも仲が良い。その帰蝶、討つ側と討たれる側の間に立って最終回ではどのように描かれるのか楽しみである。
『ガンダム誕生秘話』 [TVの国から]
先日、NHKの『完全保存版 ガンダム誕生秘話』(再放送)を見た。
横浜に作られた【動くガンダム1/1】に絡めた放送だったのであろう。 番組ではガンダムの企画段階から放送中の苦労、低視聴率による打ち切りまでについて関係者の証言によってまとめられていた。
総監督の富野氏はじめ安彦氏、大河原氏、板野氏などそうそうたる方々のインタビューはたいへん貴重な記録でもある。
私もよく覚えているが、新番組としてのガンダムの放送は土曜日の17時30分からだった。 安彦氏の証言にもあったように、4月からの放送だったから夕方5時半は外はまだ明るい。子どもは外で遊んでいてテレビを見ている子は少ないから低視聴率でも仕方ない番組枠だった。
当時中学3年だった私もクラブ活動に忙しく、その時間帯は練習していた。今から41年前の1979年、土曜日でも学校の授業は普通に半日あったのだ。
さて、それでも熱烈なファンはいたようで、放送終了時にすぐ再放送が決定されるくらい尻上がりに人気も出ていたという。
思い起こせば『宇宙戦艦ヤマト』も新番組枠の時は低視聴率に苦しんだが、その後再放送でブレイクした。
安彦氏は言葉少なにそういうことを「ヤマトで学んだ」と証言している。
低視聴率ながら手ごたえを感じていた安彦氏はやがてガンダムもヤマトのように〈売れる〉と確信していたらしい。
私が見てきたアニメの中で革命的で、ストーリーとして一番面白かったのはガンダムにまちがいない。ま、見るタイミングというのがあって、高校時代に見たというのも大きいんだろうと思う。
いいタイミングで出会えたことに感謝。
令和の刑事ドラマはやっぱ新しい!! [TVの国から]
最近始まったTVドラマ『MIU404』をたまたま観ました。
期待も何もなかったのですが、想像以上にオモシロいです。
昭和時代の『太陽にほえろ』とはもちろん違い、昭和から平成の『あぶない刑事』や平成の『踊る大捜査線』なんかとも全然違って令和風のテイストで仕上がってます。
そのテイストとは、SNSや町中にある防犯カメラなどのハイテク(死語)、あおり運転や働き方改革といった今日的話題などをうまく話しに盛り込んでいるところです。
一方で、カーチェイスなんかも少しあったりして、そこは少し昔の刑事ドラマ風なとこが私のような50代男性には嬉しい限りです。(車メーカーがわからないように会社名のロゴを隠しているところがなんとも令和風です!)
極めつけは主人公の一人が足が速いキャラクターであること。
これは私の勝手な想像ですが、この脚本家やプロデューサーなどの制作スタッフはきっと往年の刑事ドラマファンなのではないかと疑りたくなります。
走ると言えば『太陽にほえろ』。中でもジーパン刑事こと松田優作(故人)は日本一走る姿が美しいと言われたりしました。
その松田優作と中村雅俊がコンビで主演した『俺たちの勲章』という刑事ドラマに本作は少し似ているなぁと思ったりもしました。
閑話休題、脚本・演出・プロデュースの3人が女性というこのドラマ。毎週目がはなせません。一人密かに楽しみにしています。
懐かしい答志島の映像 [TVの国から]
NHKのリバイバル番組『新日本紀行』をたまたま見たら、答志島の映像でした。
今から50年くらい前に放送されたほうです。
番組の音楽担当は冨田勲さんだったんですね。民謡風の旋律と現代音楽を融合させた独特のメロディーが懐かしいです。
番組では島に残る「寝屋子」の制度を紹介していました。
さて、この番組が放送されて約50年、当初の放送で紹介された二十歳そこそこの新婚カップルは70歳になっておられ、元気なお姿で再登場されました。
それがとてもよかったです。
閑話休題、今日は母の命日でした。亡くなって丸六年が経ちました。
いろんなことがあって遥かな昔のことのように思います。
【番外】コナンはコナンでも [TVの国から]
コナンはコナンでも『名探偵』ではなく、『未来少年』なんです。
『未来少年コナン』、先日NHKでリマスター版の再放送が始まりました。感激です。
最初観たのは中学生の時でした。 あれから40年以上経っているのに第1話を観る限り全く色褪せていません。
驚いたのは話の舞台が2028年ごろだということでした。2008年に人類のほとんどが死滅する戦争が起こり、その20年後という設定です。
この作品が作られた1970年代というのは随部昔のこととなりました。
反対に、作られらた当時からすれば50年以上先というのははるか未来のことであり、ある意味では“無責任な”表現が許されるくらい先だったということです。
賢明な人類は核戦争こそ起こしていませんが、現在の新型コロナウイルス騒動のように深刻な問題はたくさんあります。
『未来少年コナン』を見て、この先に希望を見出したいものです。
【番外】名作だと思いますが・・・『いだてん』 [TVの国から]
撮りためている録画をこの不要不急の外出禁止期間中に見ています。
『いだてん』
昨年の大河ドラマで視聴率は過去最低記録を塗り替えたとか!?
脚本の宮藤官九郎さんも元気がないような報道がされてましたね。(新型コロナウイルスも心配でしたが、無事に退院されたようでよかったです。)
私は長年の大河ファンとして、本作がそんなに悪いものとは思っていません。むしろ面白かったし、オリンピックに出ること・誘致、そして開催に至るまでこんなに苦労があったということを全く知らずたいへん勉強にもなりました。
たしかに前半の中村勘九郎演じる金栗四三の物語のところはやや冗長のところもありましたが、後半の阿部サダヲ扮する田畑政治のドラマはテンポも良くて楽しかったです。
大河ドラマは戦国時代や幕末の歴史ものという固定観念からすると現代に近い本作はオールド大河ファンからは毛嫌いされるでしょう。
一方、若い層を引き付けるほどの魅力(これは多分に配役であり、有名若手タレントが多数出ていること)も持ち合わせなかったため見る人が少なかったと推測します。
では、ターゲットはどういう層かという30代~50代の男性であると思います。
事実私の周辺には『いだてん』ファンが多かったです。
かつての『プロジェクトX』や今であれば『ガイアの夜明け』や『カンブリア宮殿』を見るような層を明確にターゲットにすればもっとブレイクしたのではないかと考えます。
まさかテレビ東京さんでやってもらうわけにもいかないですしね。
秀作は後年評価される日が来る、ということを信じてやみません。
さて、緊急事態宣言が全都道府県となり、ますます危機感が増してきました。
皆様におかれましては予防策の励行に努め、新型コロナウイルスに感染されることなく健やかな毎日を過ごされることを切にお祈り申しあげます。
私も細心の注意を払いこの難局を乗り切ってまいります。(拝)