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『私が愛した大河ドラマ』 [本のブルース]



大河ドラマがどちらかといえば好きな私にとって読んでいて楽しい本でした。

15人の執筆者がそれぞれの立場で、自分の“大河”に対する想いを書かれていて、まるで大河好きの友達と会話しているような気分で読めた本です。

15人の方々は年齢も職業もバラバラです。一例をあげると・・・

小和田哲男氏(1944年生まれ)は静岡大学名誉教授で、大河の時代考証を務めたことがある方。大河の脚本も書かれている竹山洋氏(1946年生まれ)。大の大河好きのタレント・松村邦洋氏(1967年生まれ)。そしてお江戸ルという肩書を持つタレント・堀口ますみさん(1983年生まれ)などなど・・・。


こうした15人の方々の大河論は読んでいて実におもしろい!


「そうそう、その通り!」と自分の想いを代弁してくれているようなご意見もあれば、「それはちょっと違うと思う」とつっこみたくなる論者もいて、読んでいてい飽きないのです。


しかも大したもんだなぁと思うのが、出版社で、よくぞこれだけ立場の違う方々を1冊の本にしてくれた、というのと、読みやすくうまく編集された「構成力」に感服しました。順序が逆になりましたが、出版社は洋泉社で、言うまでもなく編者は洋泉社編集部です。


章だては次の通りです。


1.懐旧の章-懐かしの作品と私

2.内聞の章-私だけが知る大河の内幕

3.考究の章-私の大河・歴史ドラマ論

4.資料編


とかく昔の大河はよかったと言われますが、その「昔」というのもその方の年齢によって違ってきます。

1940年代生まれの方にとっての昔の大河とは、第1作の「花の生涯」や2作目の「赤穂浪士」であり、若い方にとっての昔の大河は「秀吉」となるのです。


これは結局、自分が何歳の時に見たかというのが“肝”なのでしょう。感受性の強い10代の頃に見た作品の印象がどうしても強くなります。わたしもそうで、自分の中で一番印象に残っているのは「花神」(1977年)です。


また、初期の大河というのは、この大河ドラマの企画自体が画期的なことで、革命的な出来事だったようです。その辺の事情は本書にある永田哲朗氏(1931年生まれ)の「電気紙芝居が映画に勝利した日」に詳しく書かれています。


ある種の「起業家魂」の宿った初期作品が当時の視聴者の印象に残っていることは当たり前かもしれません。


昭和38年の第1作「花の生涯」は、テレビでやる本格的な時代劇であり、しかも1年間の長丁場でありながら、ビデオテープが普及していないため「テレビ中継作品」であったわけです。つまり役者の方がセリフをとちれば、それがそのまま放送されます。そうした状況下で大河をを企画・実行に移したNHKの当時の関係者の肝の太さは並大抵ではなかったと思います。


そんな意気込みに満ちた初期4作品が面白くないわけがなく、裏返せば初期作品が素晴らしかったからこそ以後、50年も作られたのでしょう。


また、最初の頃はキャスティングにも苦労したようです。というのは当時はまだまだ映画全盛期の時代で、一流スターがテレビに出ること自体がタブー視されていたからです。


以上のような知識をこの本『私が愛した大河ドラマ』から学びました。


閑話休題、わたし自身の大河ドラマの思い出。

わたしの両親はそれこそ大河ファンで、多くのオールドファンと同じで、『花の生涯』はよかったとよく聞かされました。


昭和39年生まれのわたしは、幼少の頃より無意識のうちに大河ドラマを見たり聞いたりしていたのでしょう。わたしが時代劇好き、歴史好きなのはそのせいかもしれません。


自分自身の記憶ではっきり覚えているのは、「新・平家物語」(1972年)で、主人公の平清盛が死ぬシーン。たしか平家一門の面々が病床で寝ている棟梁清盛を心配そうに見守る中、清盛がすっくと立ちあがり数歩歩いてカッと大きく目を見開いて、直立のまま後ろに倒れて絶命するのではなかったかと思います。仲代達矢の迫力ある演技が頭に残りました。


続いては「国盗り物語」(1973年)。斎藤道三が油売りとして登場。「たーらり、たーらり」と言いながら油を穴あき銭を通して甕に移す大道芸を見せながら油を売るシーンをよく覚えています。


続く「勝海舟」(1974年)は、若い頃の勝が誰かから高価な本を借りて、その本を超人的な早さで書写して持ち主に返す場面をなぜか妙に覚えています。貸した人が「もう写したのか信じられん」と驚くシーンです。こんな細かい逸話が記憶に残るとは子どもというの不思議なものだと我がことながら思います。


この「勝海舟」が放映されていた頃、裏番組で「日本沈没」が放送されており、よくわたしと父はチャンネル争いをして大喧嘩しました(もちろんわたしは「日本沈没」が見たいと言って泣きじゃくり、母の仲裁でなんとか2回に1回は見ることができました)。家庭にテレビは1台で、ビデオが無かった時代、こういった家庭は案外多かったかもしれません。


余談ながら、大河ドラマの放送される日曜夜8時は、一時期、裏番組で、萩本欽一司会で「オールスター家族そろって歌合戦」(こんな感じのタイトル)をやっていました。後年、ある時期から大河ドラマがホームドラマ化するのはこうした裏番組の影響もあるのかもしれないと、ふと思いました。


1975年は「元禄太平記」。この作品では赤穂浪士の討ち入りのシーンが一番覚えています。あと、ラストシーン。主人公・柳沢吉保が、自分の時代が終ったことを悟り、自分の邸宅の庭から空を淋しそうな目で見上げているような場面でした。今、思えば、あの柳沢吉保を演じた石坂浩二の目は、高度成長期が終わった頃の日本人の目だったのかもしれません。


その次は「風と雲と虹と」(1976年)。この頃からわたしも小学校高学年になり、友人にも大河ドラマ好きが出てきます。この作品は山本直純さん作曲のテーマ曲を今でもよく覚えています。音楽に長けた友人が、このテーマ曲のさわりをリコーダーで吹いていたからです。平将門という人物を初めて知り、興味を覚え伝記を読みました。それが逆に仇となって、話の先が見えるので、テレビを見なくなりました。それでもなぜか最終回だけは見て、たしか将門は戦で一人で敵中の中を進み、敵の放った矢が将門の額に当たり、壮絶な死を遂げます。盟友・藤原純友を演じた緒形拳もよかったですね。


そして次がいよいよわたしの中では歴代大河BEST 1の「花神」です。

たいへん佳い作品だったと思うのですが、当時のわたしは小学6年から中学1年で、一番歴史に興味が高じた時期に重なり、この作品が一番印象に残っているのでしょう。たとえばその時期に見た作品が別であれば、この順位は変わるのだと思います。


だいぶ長くなったので、この続きはまた別の機会に。
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