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開山聖人七百五十回遠忌報恩大法会










今さらながらの報告で恐縮ですが、先週の土曜日(4月14日)、津市にある真宗高田派本山「専修寺」で執り行われていた『開山聖人七百五十回遠忌報恩大法会』(平成24年4月6日~16日)に行ってまいりました。


一応、わが家も高田派末寺の檀家でありますので。また小生は専修寺の隣にある縁の私学で学んだ経験もあって、真宗には浅からぬ縁があります。


当日は風が強く、吹き流しが真横にはためき、青空とのコントラストがきれいでした。


夕方に行ったせいか、予想外に人出は少なく、かえってゆっくり・落ち着いて参拝できました。


この日は時間が遅かったため、宝物館で行われている「特別展」や庭園「安楽庵」の見学ができませんでした。安楽庵では風が強すぎて「お茶会」も中止となってました。そのため翌日、また行って、「特別展」と「安楽庵」の見学をした次第です。


閑話休題、親鸞聖人について。


聖人は、1173年にお生まれになり、1262年にお亡くなりなられました。平安末期から鎌倉時代という激動の時代を生き抜かれ、生涯通じて仏門の修行と真宗の布教につとめられたことは周知の事実でしょう。


宝物館で展示されていた「親鸞聖人坐像」は、ふだんは専修寺御影堂に安置されているので、近くで観ることはできません。今回間近で拝観できたのはたいへん有難いことです。


坐像の親鸞聖人のお顔はとても厳しいです。近寄りがたい雰囲気がありました。実際はどんなお方だったのでしょうか?


展示の中に、親鸞聖人直筆の手紙や和讃がありました。字は力強く、もちろん達筆。ご自分の署名とともに、書かれた時のお年が記されていました。八十歳代の時に書かれた字もしっかりしていて、とてもそんなご高齢の方の字には見えません。驚きました!それゆえに「聖人」なのでしょうね!!


現代でも八十歳代といえば自分であれこれできる方は少ないでしょう。ましてや平安末期から鎌倉時代というと、戦乱や疫病、飢饉などが相次ぎ起こり、当時の平均寿命はどれほどだったのでしょうか? 親鸞聖人は流刑なども経験されており、いつ命を落としてもおかしくないことがたくさんあったと思います。そんな親鸞聖人がかぞえ九十歳まで生き抜かれ、最後まで民衆に布教を行うことができたのは、仏のご加護あったとしか考えられません。


混迷している現代社会において、仏のご加護を受け、自分の使命を果たす方はみえるのでしょうか?


そんなことを考えた『開山聖人七百五十回遠忌報恩大法会』でありました。


それにしてもこのような大法会に巡り合ったのも何かの縁でしょう。次の八百回遠忌はどのようになっているのでしょうか?わたしはその時九十七歳だなぁ・・・。
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