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『下流の宴』 [本のブルース]




元々は、母親が生きている頃に買ってあって、渡すつもりが、渡しそびれ、結局そのままになってしまった本。

彼女は林真理子がおもしろいと言っていた。

私は林さんの本を読んだことがない。

しばらく読む気にならなかったが、この夏休みに手にとってみた。

なるほど! おもしろい!!

解説を読んで知ったのだが、この小説は毎日新聞に連載され、発表当初たいそう話題になり、ベストセラーだったようだ。


閑話休題、『下流の宴』。

なかなかきわどい内容の本である。作者はこれで何を言いたかったのか?

昭和の戦後の高度成長期はみんなが中流になることを目指した。そのパワーが原動力となって、高度成長期を支えたといってもいい時代だった。

高度成長期が終わり、平成になる頃、バブルがはじけ、「失われた20年」が始まる。この頃になると、人々ががむしゃらに働くだけが人生ではないと考える人が出てくる。

いい学校に行き、いい会社に入り、いい車やいい服を着て、いいモノを食べる。自分の子どもにもそれが幸せと言い、同じ道を歩ませようとする。ところが、子どもはその道を否定する。単に否定するだけで、積極的に自分の道を造るわけではない。世の中の仕組みがそんな子どもでもとりあえず生きていく場所を整えてくれる。それが今の日本である、ということを作者は鮮やかに描いている。

しかし、その子どもらの将来にまで作者は責任をもたない。やがて、日本社会全体は落ちぶれていくだろう、とまでは言っていないが、十分に読者はそれが予想できる。

この話の中で、沖縄出身の珠緒が中学の頃に通学カバンを買う話をする。彼女は本革の高いカバンを母親にねだるのだが、母親は合成革で十分と言って、安いカバンしか買ってくれなかった。その母親は娘・珠緒にこういうのである。

「通学カバンなんてたった三年使うだけで、用が足りればそれでいい。本革と合成革は、そんな違いはないのに値段は倍する。あんた、今、そんなことにこだわると、どうでもいい違いのために、倍働かなきゃいけない生き方すんのよ」(文春文庫 97p)


この見識はまっとうだと思う。


そして、林真理子は次のようなエピソードをさりげなくちりばめるのだ。


クズ鉄拾いから弁護士になった男が、クズ鉄拾いは誰にでもできる仕事であるが、弁護士は誰でもできる仕事ではない、という話。

どうせ人間の老後はみじめなのだからというけれど、20歳から60歳の40年間をいろんな所に行き、おいしい食べ物やお酒を飲み、楽しく過ごすということは、そうでない場合と大きく違うはずだ、という話。


先ほどの母親の説教も、本革のカバンが買えなかったわけではなく、合成革を選択したのである。それしか選択できないのと、それを選択するというのは、結果は同じでも雲泥の差がある。


この小説の結末は、いまや『ビリギャル』の実話もあるので、そう驚くべきことではない。ターゲットを間違えず、正しいやり方で徹底的に努力すればたいていのことは叶うのだろう。

子どもを持つ親としては感慨深い作品であった。
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