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『物流危機は終わらない』 [本のブルース]



久しぶりに社会問題にスポットを当てた硬派の本を読んだ。

首藤若菜『物流危機は終わらない』岩波新書から2018年12月に発刊された話題の書なのでご存知の方も多いだろう。

副題として「暮らしを支える労働のゆくえ」とある。

この本の内容は、トラック運転手の過酷な労働状況をつぶさにルポルタージュし、その根本原因、背景には私たち消費者の存在があることを静かに、しかし厳しく読者に訴えてきている。

一部引用してみよう。

“私たちの社会には、顧客や取引先の都合に合わせて、自らの労働時間を柔軟に調整し、その期待に応えようと融通を利かせながら働いている労働者が、数多く存在する。これは、トラックドライバーだけの話ではない。「お客様のために」「顧客の言うことは絶対」といった考えのもと、労働者が、自身の働き方を調整する姿はいたる所でみられる。そして消費者としての私たちは、そのようにして生み出された商品やサービスを、ごく当たり前のこととして受け取り、日々の生活を送っている。”(同書201p)

さらに次のように続く。

“コンビニで弁当を買ったり、スーパーで野菜を買ったりする私たちの経済活動は、消費者である私たち自身がそう意図したわけではないにしても、長時間労働や過労死といった他者の犠牲の上に成り立っている。その意味において、長時間労働や過労死などの労働問題は、消費者である私たちも関わり、加担して、生み出されている。”(同書225p)

極めつけはラストに近いところに書かれたこの文。

“例えば、ネット通販の「送料無料」である。この言葉は、実際にかかった運送費用を分かりにくくするだけでなく、荷物を運ぶドライバーの姿も見えにくくしてきた。”(同書226p)

今、トラック運転手だけでなく、コンビニの24時間営業についても取り沙汰されている。その根っこは共通している。かの大手流通革命企業もこうした経済インフラがなければ存在できなかったはずだ。

先日、ご紹介した『入門 組織開発』で指摘されていたように、人間の労働を数値だけで見ていると、ドライバーの姿など簡単に消え去ってしまうだろう。

今はほぼ日本全国で、宅配便の恩恵に預かることができるが、30年後には「そんな時代もあったんだよ」と語っている可能性は否定できない。自分が受けている恩恵分をきちんと金銭で支払わない仕組みがそんなに長くもつとは考えられないからだ。

閑話休題、昔、岩波新書に『バナナと日本人』というのがあった。日本人が比較的安価で食べているバナナは東南アジアなどバナナ産地の過酷な労働と搾取で成り立っている、というような内容だった記憶する。岩波新書のこうした警告書の系譜は今も脈々と受け継がれているのだなぁということにも感心した。

【あるまかんの課題】
 今、自分にできることを考える。
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