SSブログ

処暑、お盆を振り返って思うこと [日経新聞から]



昨日は暦の上で「処暑」。暑さが和らぐ日だったそうで、なるほど、今朝は過ごしやすい。今年の夏は例年以上に淡々と過ぎていく気がする。8月も残り1週間となった。

閑話休題、少し前、お盆の8月14日に中日新聞と日経新聞に掲載されたコラムの話題。

中日新聞の「中日春秋」は、“親孝行”という江戸時代の大道芸を枕にお盆の帰省をテーマに書いている。帰る場所がある、親が待っていてくれるというのは幸福なことだという展開。

わたしは子どもの頃からお盆の里帰りというのをしたことがないのでよくわからない。父親は長男の惣領であった上、父の両親は先の戦争で他界。つまり、私の家は、迎える立場であったということだ。もっとも父親の親戚も、母方の親戚も同じ町に住んでいたので、「帰省」という仰々しいことをした経験がない。

私も長男で、学卒後、実家に戻ってサラリーマンとなり、今日を迎える。お盆に帰ってくる親戚もなく、迎えるのはすでに他界した父母をはじめとする祖先の霊ということになろうか。


8月14日の日経新聞「春秋」では、筆者が自分の故郷の“お墓”について書いている。書き出しが「3代前から東京で暮らしている。」と奮っている。三代続かねば江戸っ子とは言えないとするならば、自分はれっきとした江戸っ子、すなわち正真正銘の東京都民と言いたいのであろう。その筆者のご先祖のお墓は広島にあり、ご自分の両親もそこに眠っているという。遠方なので、ついつい墓参もできない。そもそもお寺とか、お墓とはなんなのかという意味を問う、という内容であった。(3代も東京に住んでいるのに菩提寺が東京のままというのも理解に苦しむ点である。)


おそらく東京で暮らす地方出身者の多くがこのコラムに「我が意を得たり」の感想を持たれたことと想像する。先の中日春秋の筆者もたぶん故郷を離れて東京もしくは名古屋住まわれており、日経の筆者と根っこの部分は共通していると思う。


何が書きたいのかと言えば、長男(もしくは兄弟の誰か)が家を継ぎ、弟や姉妹は家を出て、都会で暮らすという構図はすでに30年以上前から崩れている。小津安二郎が『東京物語』ですでに描いているように、老いた父母を故郷に残し、子どもらは東京で暮らすという状況が、今日の地方の疲弊を招いている。都市部の景気が好調なのに対し、地方の景気は回復してこないという現象も根っこから見直さないと改善されない。


筒井康隆氏の短篇小説で『乗越駅の刑罰』というコワ~い話がある。都会に暮らす小説家が7年ぶりに故郷に帰った際、うっかり無賃乗車したため怖ろしい罰を受けるという内容だ。

その作品の中で、「ま、あんたはいわば、七年間も無賃乗車をしてきたわけだ」という駅員のセリフがある。果たして、日本は何年間、無賃乗車をしてきたのであろうか?

(写真は『乗越駅の刑罰』が収録されている筒井康隆全集の第13巻です)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。