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ネットとリアルの融合 [旅のブルース]





10月の三連休の最終日に日帰りで東京へ遊びに行くこととなった。


いつものごとくなるべく安く行ける方法をネットでさがしていると、JR東海ツアーズの新幹線往復15,900円の企画に行き当たった。

ネット予約が原則かな?と思いきや、その但し書きないので、津駅前の同社営業所に直接行ってみた。

聞けば同営業所窓口でも販売できるという。条件は変わりない。早速申し込むことにした。

担当者の若い女性スタッフの説明は的確で、ムダがない。それでありながら事務的というわけではなく、心地よい接客なのだ。


加えてキーボードを叩くスピードは迅速。プリントアウトされた説明書を三つ折りにする手際の良さはまさに職人技(わざ)であった。


プロの接客に感動し、気持ちよく旅行チケットを購めることができた。


巷の予測ではAIが普及すれば、大半の仕事がなくなるという。果たしてそれは本当なのか、と思う。今日のような素晴らしい人間力を見ると、その気持ちが更に強くなる。


そこにはもちろん値段がいっしょであればという注釈がつくのだが…。


また、今の若い人にとっては人と接すること自体がうっとうしいのかもしれず、上のような仮説を安易に述べるのもどことなく憚られる。


それでも私は、この次の旅行は同社のお世話になろうと心ひそかに決めているのである。
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舞鶴の海軍カレーパン [旅のブルース]






先日、舞鶴に行った際、「海軍カレーパン」を購めた。

イラストの入ったパッケージ。中のカレーパンは揚げパンではなく、写真のようなパン生地で、あっさりとしていて美味しかった。

閑話休題、旧日本海軍では毎週金曜日の夕食はカレーが定番。海上では曜日感覚がなくなるので、それを防止するために毎週金曜日のメニューを固定化したと聞いたことがある(真偽は知らない)。

メニューは海軍共通で、舞鶴だけでなく、呉や長崎、そのほかでもカレーが金曜日の定番。よって海軍さんのある町には「おらが港のカレー」ができた。


自分の母親が作ってくれる味噌汁が一番と同じで、どこの隊も自分のところのカレーが一番美味しいと譲らなかったらしい。


時代は下り、平成も終わるころ、いやその前から町の活性化策の一つとして海軍さんのカレーも一役買っている。


その地域のみんなが食べている共通の食べ物があることは地域を豊かにする。


平和の空の下、地元名物を頬張りながらゆっくり散歩できる世の中が続いてほしい。
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旅館「一の家」 [旅のブルース]





天橋立では老舗旅館「一の家」に泊まった。

創業大正8年、現在、四代目が宿を切り盛りしている。

古いながらもキチッとリフォームされていて、風情が感じられる宿だった。

写真のように部屋からは天橋立によって仕切られた海が見えた。

横溝正史の映画に出てくるような、大正浪漫、昭和初期の古き佳きただ住まいを私は大層気に入った。


ところが、同行した家人はこのような「侘び寂び」的雰囲気は苦手である。


それは嗜好の問題だから仕方ない。


温泉が湧いていたことも忘れずに付言しておく。
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天橋立 その2 [旅のブルース]





天橋立は学術的に言えば「砂嘴」である。自然は時に芸術家のように地球を造形する。みごとな景色で人々を魅了し、人間の想像力をかき立てる。

その結果、神話が生まれ、神社ができたりする。あるいは短歌・俳句、絵画などの題材となり、優れた作品が世に出る。


閑話休題、天橋立は写真を撮影した側から見るとW形、対岸から見れば一直線にみえる。W形は飛龍で、一直線は昇龍と呼ばれる。どちらがいいかは各自の好みだろう。


共通しているのは、どちらのビュースポットも「股の間から見る」ことを絶景とする点である。


昔、聞いた話では逆さまにしてみると、だいたいどこの景色も元の景色よりよく見えるそうだ。


だとすれば、それを天橋立で初めてやって、定番にした人は天才だと思う。股の間から景色を見る「股のぞき」は、天橋立の専売特許であり、他所でやれば二番煎じ、パクリになる。


たかが股のぞき、されど股のぞきだ。実はここに大きなヒントがある。モノゴトは少し見方を替えるだけでも大きな変化につながることがある。ウチはあきられてるからなどと、あきらめずにチャレンジすることが大事。


青空を海に見立て、海が空になる。海から舞い上がった龍は空を悠々と飛んでいる。







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竹田城 [旅のブルース]




今日は、最近すっかり有名になった兵庫県の竹田城を訪ねた。


「東洋のマチュピチュ」「天空の城」などといわれ、雲海に浮かぶ幻想的な城址の写真が全国屈指の山城を有名にした。


言い換えれば、ああした決定的な一枚の写真がなければ、いくら百名城の一つに選ばれたとはいえ、これほど観光客は訪れなかったのではないかと思う。


有名になりすぎて、城跡を保全するために地元ではいろんなご苦労もあるようである。とはいえ、それは有名税というもの。地域にこんな立派な文化財があることは住民にとって誇りであろう。


私が竹田城を初めて訪ねたのは1985年3月であった。登り口がよくわからず、農作業をしている地元の方に教えてもらった。


「あんたら 何しに きたん」

「お城をみに きました」

「珍しいね。上にはなんにもないよ」

「えっ、石垣はあるでしょ。登られたことありますか?」

「小さいころ 遠足で登ったきりいったことないなぁ。ま、気をつけて いってらっしゃい」


こんな感じの会話をしたような記憶がある(もちろん伊勢弁ではなくて)。当時は今ほど山道も整備されてなかったし、道路もなかったように思う。


それだけに苦労して登って竹田城の石垣を見たときは「これぞ本物の歴史だ」と感激した。


その頃に比べれば今の竹田城は俗化していて、それが寂しくないといえばウソになる。しかし、昨日も書いたようにこれこそが日本の観光地の進化なのだ。一部のマニアだけが楽しむのではなく、広く世間に知られ、たくさんの人が見物にくることで遺跡の価値は高まる。もちろん遺跡を破壊することなく、正しく保全を図るというのが大前提。


おそらく30数年前はほとんど来る人がいなかったであろう竹田城がこれだけ変身し、きっと地域活性化にも貢献している。三重県内にも竹田城のような種はまだまだ埋もれているように思えてならない。みんなで発掘し、大切に育てていきたい。
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天の橋立 [旅のブルース]





今日は天の橋立に来ている。

30数年振りに訪れた日本有数の観光地は、いい感じに進化していた。


土産物屋さんや各種サービスはCS度がアップ。案内板にも工夫が感じられる。公衆トイレが清潔なのは言うまでもない。


日常と違う場所に行くだけでもたいへん価値があることだと思う。


物見遊山バンザイ。みんな旅に出よう❗️
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イベント「宵の明治村」 [旅のブルース]





「宵の明治村」というイベントがあって、その中で知人が音楽ライブに出演するので見に行った。


明治村は貴重な文化財を野外展示する博物館であり、そのユニークさは他にないものだと思う。ただそれに安住することなく、集客の工夫をすることは施設の維持のためには必要なことなのだろう。


この機会に今まで明治村に行ったことがない方々に明治村の良さを知ってもらえるいいきっかけになればと願う。


こんなことを書くと明治村の関係者かと思われそうだが、全く違う。


純粋に日本文化の一端を守ってきた明治村を応援したいだけである。


知人のライブも良かったことを申し添えておきたい。
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行ってみたかった所 その2 「東尋坊」 [旅のブルース]




東尋坊。

(本稿、いろいろ文字化けしていたので修正しました。)

ここは有名な観光スポットだし、石川県に住んでいたのだから、ホントいつでも行けた場所でした。

何度か行こうとして、なぜか行けず、このたび目出度く訪問できた次第。

東尋坊は思っていたほどの断崖絶壁ではなかった。それでもやはり足はすくんで、端っこまではいけない。

今まで行かなかった理由の一つに、「能登金剛の方がスゴイ」ということをきいたからでもあった。なるほど、たしかに能登金剛の方が優っているかもしれないが、私が見るにはおんなじくらい。ちなみに能登金剛はその名の通り能登半島にあり、こちらは数度行ったことがある。


閑話休題、東尋坊はその周辺に魅力があった。一帯は加賀越前国定公園なので、ぜひ、周辺の他のスポットにも足を伸ばしてもらいたい。


中でもお勧めなのが「雄島」。赤い橋がかかっていて簡単に渡れる。案内板の説明によれば、この島全体が神様で、古来人手による開発がされなかった。ゆえに貴重な植物等があるらしい。


植物に関心がないからそのあたりの魅力はわからない。あまり観光客が訪れない島の奥に行くと、平日ということもあったが、誰もいない。島の沖を観光船がはしっていた。


ここでラチられてもわからんなぁ、などと考えながら軽く島を一周した。天気が悪かったりしたら相当コワイだろうなぁ。(晴れててよかった。)


ということで、東尋坊およびその周辺を探訪した。ふと、大学時代の先輩で、旅の達人だった I さんのことを思い出す。


I さんはいつも一人旅。コンスタントに1時間で6キロメートル歩く健脚。有名な観光地には見向きもせず、秘境というところばかり旅していた。


I さん曰く「有名な観光地は整備されているから年をとってからでもいける。そうでない所は若いうちにしか行けない」。


I さんは車の免許ってなかったから、公共交通機関と徒歩でその秘境を回る。だから健脚でないと行けないのだ。


一度だけ、I さんと旅をご一緒させていただいた。とてもハードな行程。朝早くから夜遅くまで目一杯動く。貧乏旅行だから夜行列車の車中泊というのもしばしば(寝台ではなくて直角の座席に座って)。昭和時代は夜行列車が多く走っていた。


I さんと一緒に行ったところの一つが竹田城。なーんだ有名な観光地じゃん、と思うなかれ。当時の竹田城は地元の人ぐらいしか行かなかったんですよ。地元のおばちゃんに「観光客はじめて見た」と言われたことは私のプチ自慢である。


そう、I さんは時代を先取りしていた。


その I さん、今は音信不通です。どこで、何をされていることやら。


I さんの名言をもう一つ。


「人生は旅だとは思わないけど、旅の中に人生があればいいなと思う」
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行ってみたかった所 その1 「七本槍賤ヶ嶽古戦場跡」 [旅のブルース]




長年勤めた会社からご褒美のお休みを授かった。あと2年もすれば定年を迎えるので、その前に今後の身の振り方をよく考えるようにというのが本来の趣旨であろう。あるいはその日に備えて資格試験を受けるなどの準備をしなさい、という意味もあるだろう。


私はそのどちらをすることなく無為に過ごしている。無為というのは他人様から見ればということで、自分にとっては有意義な日々を送っている。


閑話休題。


いつでも行けそうな気がして、なんとなく行きそびれていた所を回っている。


その第一弾が「七本槍賤ヶ嶽古戦場跡」


この時期、私に同行する者はなく、自由気ままな一人旅。一人旅が寂しいことに気づいたのは23歳の時だった。それまでは結構平気に一人旅を楽しんでいたのだが、会社勤めをはじめ、環境が変わったせいなのか、急に一人で行く旅に寂しさを覚えるようになった。


それ以降はあまり一人旅はしなくなった。それでも時折、一人旅に出かけるのは単につきあってくれる友人や家人がいないからにすぎない。


旅行していて一人でよかったと思うことがある。それは自分以外でその場所に関心がある人は少ないと思えるようなところに行ったときだ。一人だから遠慮することなく、自分が飽きるまで滞在し、楽しめる時である。


今回の旅はそういうところばかり。と、書くとそのスポットを観光で盛り上げようとしている方々に悪いな、とは思う。


さて、掲題の地名はサービスエリアにもなっているのでご存じの方も多かろう。また、歴史好きの方であれば「七本槍」は解説する必要のない有名な出来事である。


私はその昔、北陸道をよく車で走っていた。だからこの史蹟の横も何度となく通った。合戦場の山頂まではリフトがあることも知っていた。


果たして、訪れた平日はリフトは運休であった。どうやら土日しか動かしていないようだ。


しかたなく遊歩道を徒歩で登った。距離は1キロちょっとと書いてある。けっこう息が切れた。


登りやすく蛇行させてある遊歩道ですらこうなのだ。やはり戦国大名らの体力というのは凄かったのだろう。福島正則、加藤清正ら七本槍の士は鎧甲冑を身につけ、重い槍を手にして、敵の攻撃をかわしながら、一気呵成にあの山麓を登ったのだ。現代人からみれば、信じられない体力である。


そんなことを考えながら賤ヶ嶽を登った。


頂から周囲を見渡せば、なるほど交通の要衝を見渡す場所であり、ここを押さえることが軍事上重要であったと想像できる。


この場所に布陣することも大層苦労しただろうなぁ。


言い伝えによれば、戦いが終わった後、山麓にはおびただしい兵士の遺骸があったという。


死者に敵も味方もない。霊を慰める碑が建てられている。


今から400年と少し前、日本でも残酷な国内戦が繰り広げられていたのである。
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明治村の三重県庁 [旅のブルース]




明治村に行ってきた。じっくりと見て回るのは中学以来40年ぶりのことである。


私が同村を初めて訪れたのは小学6年の晩秋であった。授業で習ったばかりの明治の文明開化の話を祖父にし、明治村に行ってみたいと言ったところ、今から行くかと思いつきで連れて行ってもらった。


いくら日帰りとはいえ、今までそんな旅行をしたことがなかった私はビックリしたのと同時に祖父がたいへん頼もしくみえた。



明治村に着いたのは何時ごろだったのだろう?今より建物は少なかったと記憶するが、駆け足で一所懸命に見学したのを覚えている。


祖父は県職員であったので、三重県庁をたいそう懐かしんでいた。なにせ自分が現職の時に働いた建物なのだから。


「この部屋によく印鑑をもらいにきた」と祖父に教えてもらったのがどの部屋だったのか、さすがに今となっては覚えていない。


もう一つの思い出は西郷従道邸。私が従道を「つぐみち」と正確に読むと祖父はいたく感心してくれた。「こんな難しい字よう読めるのぉ」と。もちろん明治生まれの祖父は読めるのだが、あえて「じゅうどう」と言っていた。


昭和は遠くになりにけりの昨今、明治は完全に歴史になってしまった。今の見学者の中に私の祖父のようなことを言う人はよもやいまい。


けれど、明治村は開村以来、一時期は過去を追体験できる場所でもあったはずである。明治村に移築された帝国ホテルに来て、自分が若かりし頃を思い出して涙した人がいたという話を以前に何かで読んだ。



閑話休題、今の明治村の意義は何であろうか?もちろん、貴重な文化財を後世に伝えるという使命は言うまでもない。


一つ一つの建物はどれもたいへん当時の人の思い入れがあり、国力の弱かった日本がなんとか世界に負けずがんばって行こうという明治人の意気込みのようなものを感じる。


もう一度、明治の精神を思い起こす場所、それが明治村の意義ではなかろうか⁉︎
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