イオンの広告 [f]
近所のイオンに行ったら、写真のようなポスター広告がかけられていた。
意外な組み合わせ。
1986年に、ミスドが江口寿史の絵を使っていたことを思い出す。
江口寿史の絵は色褪せない!
意外な組み合わせ。
1986年に、ミスドが江口寿史の絵を使っていたことを思い出す。
江口寿史の絵は色褪せない!
ゴルフ [f]
今月2回目のゴルフはパットしない成績であった。
本日プレイしたのはフォレスト芸濃ゴルフクラブ。バブル時に建てられた名ゴルフ場は、今もその名残を建物やコース等にとどめている。
私の腕前では、従来ならラウンドできないコースなのである。
本日プレイしたのはフォレスト芸濃ゴルフクラブ。バブル時に建てられた名ゴルフ場は、今もその名残を建物やコース等にとどめている。
私の腕前では、従来ならラウンドできないコースなのである。
自衛隊見学 [f]
本日は自衛隊の一般見学会に参加した。
好天に恵まれたが、風が少しきつくて、肌寒かった。
昔は深く考えることなく、あるイメージで自衛隊の存在に疑問をもったが、昨今の世界情勢から今は真逆の考えを持っている。
好天に恵まれたが、風が少しきつくて、肌寒かった。
昔は深く考えることなく、あるイメージで自衛隊の存在に疑問をもったが、昨今の世界情勢から今は真逆の考えを持っている。
ぺぺたま [f]
近所にある美味しいと評判のパスタ屋さんに行ってみた。
看板メニューの「ぺぺたま」を注文。うまい!
ぺぺたまは、ペペロンチーノとカルボナーラを合わせた当店オリジナルだそうだ。両方とも好きな私にとって、なんとも嬉しい一品である。
閑話休題、食べながらその量の多さと味の良さに感激しつつ、昔の名店を思い出した。
カルボナーラを初めて食べたのはサルーテという店だった。味と量の多さ、値段もお値打ちで、そして当時本格的イタリア料理の店が珍しかったこともあって大繁盛していた。
マリオネットという店のカルボナーラも美味しかった。
両店とも今はもうない。
当店が繁盛し、末永く営業されることを祈念する。
看板メニューの「ぺぺたま」を注文。うまい!
ぺぺたまは、ペペロンチーノとカルボナーラを合わせた当店オリジナルだそうだ。両方とも好きな私にとって、なんとも嬉しい一品である。
閑話休題、食べながらその量の多さと味の良さに感激しつつ、昔の名店を思い出した。
カルボナーラを初めて食べたのはサルーテという店だった。味と量の多さ、値段もお値打ちで、そして当時本格的イタリア料理の店が珍しかったこともあって大繁盛していた。
マリオネットという店のカルボナーラも美味しかった。
両店とも今はもうない。
当店が繁盛し、末永く営業されることを祈念する。
城の日 [f]
4月6日は城の日だそうだ。もちろん語呂合わせ。
城趾を観るのが好きだ。天守閣など建物がなくても、石垣を見ているだけで十分。
石垣を眺めて何がそんなに面白いのかと問われる。
自分もその理由はわからない。
私も子どもの頃は石垣の魅力は理解できなかった。本当に石垣に興味を持ったのは50歳を超えてからだろうか?
年齢を重ねるごとに興味の対象が変わる。私にとって石垣見物の趣味はその典型的な例である。
城趾を観るのが好きだ。天守閣など建物がなくても、石垣を見ているだけで十分。
石垣を眺めて何がそんなに面白いのかと問われる。
自分もその理由はわからない。
私も子どもの頃は石垣の魅力は理解できなかった。本当に石垣に興味を持ったのは50歳を超えてからだろうか?
年齢を重ねるごとに興味の対象が変わる。私にとって石垣見物の趣味はその典型的な例である。
まだまだ [f]
昨日、町内を散策すると、まだまだ良い桜があった。
こんな小さな町でもこれだけ見どころがあるのだから、大きな街や名勝地に行けば素晴らしい桜が数多あるのだろう。
自由気ままに伸びた桜はどれも同等に美しい。凄いことだと思う。
こんな小さな町でもこれだけ見どころがあるのだから、大きな街や名勝地に行けば素晴らしい桜が数多あるのだろう。
自由気ままに伸びた桜はどれも同等に美しい。凄いことだと思う。
訃報「坂本龍一」さん [f]
先日の高橋幸宏さんご逝去の悲しみがあけぬ間に、坂本龍一さんの訃報を聞くとは思わなかった。
高校生の頃にYMOこと、イエロー・マジック・オーケストラの音楽を知った。多感な十代への影響は大きく、それは音楽のジャンルを超えて考え方や思想など文化的なものに広がったように思う。
YMOメンバーのソロ活動も追っかけた。高橋幸宏さんの『音楽殺人』、そして坂本龍一さんの『左うでの夢』。
閑話休題、坂本龍一さんが【世界のサカモト】になったのは、映画『ラストエンペラー』の音楽を担当し、それがアカデミー賞やグラミー賞を受賞したことによる。
その前に忘れてはいけないのは、1983年に公開された映画『戦場のメリークリスマス』である。
この映画の幻想的で哀歓のあるテーマ曲はじめ、映画全編にフィットした多様な曲調が、それまでのYMOの坂本龍一のイメージとかなり違った。もちろんいい意味で。
また、1982年だったか?、忌野清志郎さんと共作した『い・け・な・いルージュマジック』も、ミュージックビデオとともに衝撃的だった。
その頃の私はまだ、清志郎よりも坂本龍一に傾倒していた。
後年、坂本龍一さんが核廃絶や平和運動に力を注ぐのは、清志郎さんの影響も大いにあるのだと思う。
坂本龍一さんは、80年代前半に高校生だった私たちにとって神的存在の一人であった。宗教の信仰が一つであるように、当時の高校生には自分にとって神様のような存在がそれぞれあったような気がする。
その神様の一人が天に旅立った。先日の高橋幸宏さんや、もうずいぶん前に大滝詠一さんも。
桂米朝師匠の名作『地獄八景』で、「名人は皆んなこっち(あの世)に来ている)という語りがある。
私たちの世代から見ると、若い頃に、きら星のように見えた人たちが、本当に星になられてしまった感がある。
ご冥福をお祈りします。
(写真は2023年4月3日付中日新聞の一面。訃報が一面トップにこれだけ大きく載るのは文化人では珍しいと思う。記事横のコラムには坂本龍一さんの言葉も。)
高校生の頃にYMOこと、イエロー・マジック・オーケストラの音楽を知った。多感な十代への影響は大きく、それは音楽のジャンルを超えて考え方や思想など文化的なものに広がったように思う。
YMOメンバーのソロ活動も追っかけた。高橋幸宏さんの『音楽殺人』、そして坂本龍一さんの『左うでの夢』。
閑話休題、坂本龍一さんが【世界のサカモト】になったのは、映画『ラストエンペラー』の音楽を担当し、それがアカデミー賞やグラミー賞を受賞したことによる。
その前に忘れてはいけないのは、1983年に公開された映画『戦場のメリークリスマス』である。
この映画の幻想的で哀歓のあるテーマ曲はじめ、映画全編にフィットした多様な曲調が、それまでのYMOの坂本龍一のイメージとかなり違った。もちろんいい意味で。
また、1982年だったか?、忌野清志郎さんと共作した『い・け・な・いルージュマジック』も、ミュージックビデオとともに衝撃的だった。
その頃の私はまだ、清志郎よりも坂本龍一に傾倒していた。
後年、坂本龍一さんが核廃絶や平和運動に力を注ぐのは、清志郎さんの影響も大いにあるのだと思う。
坂本龍一さんは、80年代前半に高校生だった私たちにとって神的存在の一人であった。宗教の信仰が一つであるように、当時の高校生には自分にとって神様のような存在がそれぞれあったような気がする。
その神様の一人が天に旅立った。先日の高橋幸宏さんや、もうずいぶん前に大滝詠一さんも。
桂米朝師匠の名作『地獄八景』で、「名人は皆んなこっち(あの世)に来ている)という語りがある。
私たちの世代から見ると、若い頃に、きら星のように見えた人たちが、本当に星になられてしまった感がある。
ご冥福をお祈りします。
(写真は2023年4月3日付中日新聞の一面。訃報が一面トップにこれだけ大きく載るのは文化人では珍しいと思う。記事横のコラムには坂本龍一さんの言葉も。)
桜吹雪にハラハラすがり [f]
旭化成さんの工場横にある桜並木を見学。
満開を少し超えた散り始め。風に花びらがハラハラと落ちるのが風情あり。時折強い風が吹くと桜吹雪に。
閑話休題、若い頃、この工場の近くで働いていて、その頃は並木の横に社宅が建ち並んでいたように記憶している。
今は家屋はなく、整地されていた。
太い幹の桜樹もあり、長年大切に保全されてきたことがよくわかる。
来年は満開の時に訪れたい。
満開を少し超えた散り始め。風に花びらがハラハラと落ちるのが風情あり。時折強い風が吹くと桜吹雪に。
閑話休題、若い頃、この工場の近くで働いていて、その頃は並木の横に社宅が建ち並んでいたように記憶している。
今は家屋はなく、整地されていた。
太い幹の桜樹もあり、長年大切に保全されてきたことがよくわかる。
来年は満開の時に訪れたい。
さくら サクラ [f]
私の住む町に咲いている桜を見ると、花の真ん中がピンク色になっていた。こうなると散るのは早い。
私の予想に反し今年は桜が長持ちしている。これは天候に恵まれ、強い風が吹くこともなく、また雨が降ることもなかったからだ。
今朝は満開の桜を見納めるために、出勤前、町を散策して花見をした。
町のあちこちに桜の名木がある。某公園には、見事に整った枝ぶりの桜があった。こちらの桜は今まで見落としがちであった。
古い町のせいか、案外と古い樹も多い。そうした樹をいくつも見て気づくのは、のびのびと自由に伸びた桜の樹に美しいものが多い。(桜は切ってはいけないとも聞いたことがあるが、理由はよく知らない。)
閑話休題、私の住む町には以前もっとたくさんのいい桜の樹があった。それらはみんな切られてしまった。実に惜しいことである。
私の予想に反し今年は桜が長持ちしている。これは天候に恵まれ、強い風が吹くこともなく、また雨が降ることもなかったからだ。
今朝は満開の桜を見納めるために、出勤前、町を散策して花見をした。
町のあちこちに桜の名木がある。某公園には、見事に整った枝ぶりの桜があった。こちらの桜は今まで見落としがちであった。
古い町のせいか、案外と古い樹も多い。そうした樹をいくつも見て気づくのは、のびのびと自由に伸びた桜の樹に美しいものが多い。(桜は切ってはいけないとも聞いたことがあるが、理由はよく知らない。)
閑話休題、私の住む町には以前もっとたくさんのいい桜の樹があった。それらはみんな切られてしまった。実に惜しいことである。