ひながの夜市 [f]

土地には独特の磁場があり、理論上では決していい場所ではないのに繁盛店ができる場所がある。逆に店舗を構えるのに問題ない場所にもかかわらず、出店と閉店のサイクルの早い場所がある。
これは理論を超えたものの力があって、理論的な説明ができない現象である。
こうしたいい加減な分析が社会科学の魅力でもあり、弱いところであると思う。
好立地にもかかわらず店が長続きしないのは、立地に頼りすぎた経営者の努力不足に他ならない。
反対に立地にハンデがあるにもかかわらず繁盛する店は、経営者が通常の何倍も努力しているからだ。
閑話休題、【ひながの夜市】に初めて立ち寄った。類は友を呼ぶかのように、魅力的な出店が軒を連ねる。それに合わせるかのように、お客様の層も若くて明るいファミリー層の方ばかりである。
特別なイベントがあるわけではない。けれど皆んな楽しそうに飲食しながら談笑し、心地よい空間と時間を過ごしている。
これぞ本来の町なんだと思う。今では忘れてしまった【日常にあるにぎわい】の再現という奇跡が起きていると感じた。退屈しない幸せがここにはある。
ひながの夜市は第3金曜日にあるとのこと。
越前大野城 [f]

天守は再建されたもの。中の資料館が充実していた。資料の保管状態が良く、清潔感のある展示室に好感を持った。
大野藩は幕末に名君が現れ、藩の財政再建や人材育成に努めた。その結果、小藩ながら経済力があり、軍備を進める一方で医学なども進歩していたようである。
また武家だけでなく、民衆の支持も受けた。お城の再建や、江戸時代の遺構が大切に保存されてきたのはその証左である。
果たして、大野藩より大藩であったところでも業績面で見劣りする藩は少なくないだろう。
江戸時代の創業期だけでなく、その後の藩政のあり方が今日に影響を及ぼす好例であると思う。とりわけ幕末の影響度は大きい。
閑話休題、大野城の石垣は野面積みで野趣があって良かった。
クリーニングに出すということ [f]

その記事より。
『例えばビジネス用途で着るシャツであれば(中略)洗い方の選択肢はクリーニング一択。』と言い切る。
『「洗えるからシャツは自宅で洗わないといけない」と思っている人も多いが、洗えるかどうかではなく、どう着るかで判断しよう。特にビジネスで着る服であれば、クリーニングに出すということは必要経費の一つ。そこにお金をかけることは消費ではなく自己投資の一つとなる。』
私は40年近くサラリーマンをやってきて、仕事がらワイシャツを毎日着てきた。そして、ただの一度も自宅で洗ったシャツを着たことはない。全てクリーニングに出してきた。
その理由は、就職活動をしていた40年近く前に出会ったある方の言葉であった。
その方は当時40代後半であったろうか?某社のホワイトカラーだった。
「自分たちは信用という見えないものを売っている。ゆえに細かいことでいえばワイシャツは必ずクリーニング出してシャンとしたものを着ないといけない」
学生だった私はその言葉に勤め人の誇りのようなものを感じて、以来そうしている。
今回、この記事を読んで得心した。
着るシーンで変えることが大切なのだ。
閑話休題、昨今、ノーアイロンのワイシャツが増え、自宅で洗う人が増えたせいか、いいクリーニング屋さんが減っている気がする。
今一度、洗濯のキホンを見直したいと思う。
ソースカツ丼 [f]

カツが大きく、柔らかく、ソースでの味付けが絶妙で、たいへん良かった。
お値段は千円。高からず、安からず、納得のプライスだと思う。
お盆休みを利用して小旅行をした。
日光から奥日光と沼田を経由して、富岡へ。そして本日は信州上田を見て、帰路立ち寄ったのが駒ヶ根だった。
台風が近づく中、関東と信州は大きく天候が崩れることはなかった。むしろほとんど晴れていた。(感謝)
途中リスキーなこともあったが、無事に帰宅した。
富岡製糸場 [f]

世界遺産登録の史跡である。
創業は明治5年。
今から151年前か?
あまりじっくり見なかったが、女工哀史の解説が少なかった気がする。
成長には光と影がある。両面をしっかり学びたい。
華厳の滝 [f]

見る位置がいいのかもしれない。
観覧用のエレベーターは岩盤をくり抜き設置されたので、創業は昭和5年とのこと。その歴史も驚きであった。
日光を見るまで結構と言うな [f]

極彩色の荘厳な美しさ、どこか中国っぽい感じがあるのに最終的には日本らしさを感じる不思議さ、なんとも素晴らしい建物と彫刻であった。
私のテクニックではうまく撮影できず残念。
さて、一説では日光東照宮に祀られている一人が藤堂高虎という話を聞いたことがあった。
もちろん主神は徳川家康公である。その脇に祀られているのが高虎公という説である。その謎が現地で解けるかと期待していたが、私が見聞した範囲では全くそのような話はなかった。
こちらのことがわからなかったことも残念であった。
小樽みやげ [f]

知人から小樽みやげの「ルタオ」をいただいた。
小樽は2回行ったことがある。
1回目は1985年。当時の小樽は過去の栄光と観光化との間(はざま)で揺れ動いていた印象がある。町全体が「博物館入りした」とも揶揄されていた。
当時はまだ日銀小樽支店がある町だった。
2回目は7〜8年前だ。
町はすっかり観光地化していて、内実は知らないが、外から見れば成功しているように見えた。
経済力で発展し、時代の流れが変わったため斜陽になり、観光都市として甦る。今の日本が目指すことを20〜30年先に経験しているのが小樽だと思う。
美味しいお菓子もたくさんあったなぁ。
日銀小樽支店はもうなくなっていて、建物は保存されて、一般公開されているようだった。
(記憶ベースなので、マチガイあるかも)
お土産 [f]

美味しいし、また尾鷲の風土を感じさせるパッケージがよい。
知人は尾鷲出身だが、今は違う町に住んでいる。交通の便が良くなったので行き来はしやすくなったようだ。
交流人口をもっと大事にしたいと思う。