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「時を超える価値」村上龍 [日経新聞から]




本日(2015.7.20)の日経新聞文化欄に村上龍さんの素敵な文章が載っていた。NTT都市開発の広告である。

詳しくは、ぜひ読んでいただきたい。以下は私の意訳。

わたしたちは古い懐かしい佇まいを見た際、「時間が止まっているみたい」と、よく言う。

村上龍もそんな光景にイタリアで出くわした。


龍さんも“そう”表現すると、イタリアの老人は「時が、流れを止めることはないよ」とほほ笑んだという。

その古老は続ける。


「時は流れ続けるが、時を超える価値と出会うことはできる。」


なんとも深い言葉ではないか!!


時間が過ぎるという変えようのない事実がある。その事実に逆らうのではなく、受け入れて、それを超越することが人生の極意なのだろう。

この素晴らしいことをこのイタリアの老人は知っていたのである。なんとも素晴らしいではないか!
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リヤカーの旅(日経新聞から) [日経新聞から]




6月12日付日経新聞の文化欄に、リヤカーを引いて日本の海岸沿いを歩いて日本を一周した塩田忠一さんという方の文章が掲載された。

この欄では今までにもリヤカーを引いて日本一周した方や外国の砂漠を横断した方の記事が載ったことがある。

塩田さんの素晴らしいのは、退職後の58歳からこの偉業を始めた点だろう。15年の歳月をかけて達成された点も特筆に値すると思う。

元々は脳血栓で倒れた後のリハビリで歩くことを始めた。歩くことに興味が出て、やがて本州を一周しようと決断したというのだから恐れ入る。

人生、かくありたいと思った次第。
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日経電子版 [日経新聞から]

理由あって、先日、日経電子版の登録をしました。

この前、電車の中で紙媒体とスマホの二つを読み比べました。

実は、私は勝手に電子版は読みづらいだろうと思い込んでました。しかし、これは全くの思い込み、食わず嫌いだったことを痛感。

予想に反して、電子版はたいへん読みやすいのです。

元々、紙媒体の新聞は電車の中で読むようには作られてませんから、電車の中で立ったまま読むのにはちょっとしたコツが必要です。


私はサラリーマン生活30年近くになりますが、いつまでたっても不器用なままです。


それがスマホの画面だとサクサクと読めてしまいます。私も老眼で、細かい字は不得手です。それでも整理された画面の方が読みやすいです。


次は電子書籍に挑戦しようかな?
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メリーさん [日経新聞から]




今年3月17日の日経新聞文化欄に女優の五大路子さんが書いた文章が掲載されていた。

内容は、昭和から平成にかけて横浜に実在した白塗りの老娼婦メリーさんのこと。そのメリーさんと出会った五大さんが衝撃を受け、メリーさんを題材にした独り芝居「横浜ローザ」を作った。この4月にはニューヨークでも上演したという。

メリーさんといえば、今、40代後半の人で、小さい頃に津に住んでいた方ならばご存じだろう。津にも真っ赤な服を着たメリーさんと呼ばれる女性がいたことを。

津のメリーさんは、三重会館のバスの待合室に座っていた。ある時、私の友人が、メリーさんがいつも座っている場所にいなかったので、その席に座っていたら、果たして、メリーさんがやって来た。そして、そこは私の席だから変わってちょうだい、と叱るように言われたそうだ。

メリーさんが男と腕を組んで歩いている姿を見かけたこともあった。

私らは子供だったからわからなかったけれど、津のメリーさんも、新聞に書かれた横浜のメリーさんと同業だったようである。

津のメリーさんを最後に見たのはいつ頃だっただろうか?三重会館は建て替えられ、彼女が座っていたイスはもうないが、いっとき、メリーさんは津の名物だったことは間違いない。


閑話休題、五大路子さん。彼女を初めてテレビでみたのはNHKの朝ドラだった。ただ、五大さんは途中で体調を崩して降板する。きっと忸怩たる思いがあっただろう。そんな五大路子さんだから横浜のメリーさんを題材にしたのではないだろうか?津のメリーさんに五大さんのような方がいないのは残念である(私が寡聞で知らないだけかもしれませんが…)。
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「ニトリの社長」の『私の履歴書』その2 [日経新聞から]



ニトリの社長さんの『私の履歴書』はギリギリのラインで書かれている。つまり、内容がきわどい。

そんな中、本日は流通業界の名コンサルタント“渥美俊一さん”がテーマだったので、いつもと違い大人しい感じだった。とはいえ、中身は興味深いものだったのは言うまでもない。

渥美先生は、ダイエーの中内さん、イトーヨーカ堂の伊藤さん、ジャスコの岡田さんなど日本の流通業のドンを指導した方である。渥美氏は“ペガサスクラブ”を主宰し、会員の社長さんらはそこで勉強したという。

ニトリの社長もこの勉強会に入っていた。

渥美氏の厳しい言葉が書かれていたので、引用させていただく。

成功するか、倒産するか。「ペガサスクラブ加盟社に中間はない」とも言われた。

たしかに、このクラブに入っていて倒産した企業を私は知っている。経営とは難しいものなのだ。
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新聞を読む人~ピケティ氏の格差論 [日経新聞から]





最近は、名古屋まで特急通勤をしています。特急代金は自費なので、結構つらいです・・・(涙)

ところで、何年か間に比べると、特急で新聞を読んでいる人が減ったように思います。

反対にスマホをチェックしている人が増えました。スマホで新聞をチェックしている人も少なからずいるのだと思います。

私も、スマホで新聞をチェックする派になろうと考えます。どうも紙の新聞というのは、電車の中で読むには読みづらく出来ていて、もっと違うサイズにならないのかと、常々考えます。


閑話休題、本日の日経新聞に、池上彰さんのコラムで、「ピケティ氏の格差論」という記事が掲載されました。以下は、記事の内容です。


ピケティ氏は、ご自身の著作の中で、「所得格差は教育格差につながり、格差を固定化する」と、語られているようです。

この内容を講演で聴いた学生が次のような質問を出しています。

「質の高い教育を受けられる僕たちのような者は、何をすべきなのでしょうか」


これに対するピケティ氏の明快な答えは次の通り。


「君たちは高いレベルの教育を受けることができたのだから、それを社会のために役立てることを考えてください」


ガツンとやられました!


池上さんの解説がまた素晴らしいです。

“質の高い教育を、自分のために役立てるのではなく、社会のために役立てる。これこそ、本当の意味でのエリートの姿勢なのだということを、ピケティ氏は訴えたのです。“


しかし、現実は、自分のためにだけ使う人がなんと多いことか!

(写真は内容とは異なる記事です。)
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種田山頭火 [日経新聞から]





2015年1月8日付け『日経新聞』文化欄に、富永鳩山さんという書道家の方が「山頭火に深く分け入って」という文を書いておられる。


山頭火とは、言うまでもなく俳人・種田山頭火のこと。富永氏は山頭火と同郷の山口県防府市の方で、35年以上の長きにわたって旅に生きた自由律の俳人・山頭火の研究をしてきたという。


富永氏によれば、山頭火のイメージ(妻子を捨て、酒におぼれた放蕩者)は実像とは相当違うそうだ。そのイメージは独り歩きして、地元の防府市でも昔は偏見があったそうである。富永氏らの顕彰によって、その偏見も払しょくされ、来年は山頭火の記念館が地元にできる予定だそうだ。


閑話休題、山頭火の句を私が初めて知ったのは高校生の頃に見たTV番組『3年B組貫八先生』で、川谷拓三扮する教師が山頭火の句を授業で披露していたときである。


その後、大学生になって、山口県の川棚温泉を旅した時、山頭火の句碑を見た。

「湧いてあふれる中にねている」

「大楠の枝から枝へ青あらし」

この川棚温泉は、山頭火が終の棲家にしようと思うほど愛した温泉だった。(残念ながらその望みは叶わないのだが…。)


先の富永氏が山頭火の魅力を的確に表現されている。

“山頭火は自然の中に自分を置いて句を作った。句の中に山頭火自身が存在している。”


「分け入っても分け入っても青い山」

「てふてふてふてふひらひらいらかをこえた」
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『27世紀の発明王』 [日経新聞から]





写真は2014年11月18日の日経新聞44面に掲載されたコラム。

「未来の風景SFアート十選」で紹介された『27世紀の発明王』の表紙。

いやぁ、なつかしい!! 小学生のころ、よく読んだなぁ。この本は図書館にあって、大人気の本で、なかなか借りることができなかったことを思い出す。まさか、こんなところで目にするとは・・・。
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少し前の新聞から [日経新聞から]





少し前の新聞記事からで恐縮ですが、いくつかまとめてあげさせてください。


1 2014.12.7 「日経新聞 日曜に考える」から

今回のテーマは若者の東京に対する意識の変遷であった。昔は東京に憧れ、高校(その昔は中学)を卒業したら東京に出る若者が多かった。1960年代の上京は集団就職という形ではあったかもしれないが、それでも上京する若者たちは不安だけではなく、憧れや期待・希望というものを持っていた。

今の若者は「東京」に特別な輝きを感じていません、とバッサリ言いきるのは関西学院大学の難波教授である。今はネットでたいがいの情報が入手され、わかった気になりやすいというのがその理由。

それでも東京に流入する若者が多いのは、仕事が地方にないからだと、難波教授は明快に言い放っている。

その通りだと私も思う。もう一つ言えば、進学する気になる、あるいは進学できる大学が地方にないから上京するというケースも多いはず。

話はそれるが、昔は仕事で東京出張すると、決まって本屋さんをまわり、なかなか地方では入手できない専門書をたくさん買って帰ったものだ。今、そんなことをする人はまずいないだろう。アマゾンが田舎の不便さを解決してくれたのは言うまでもない。

閑話休題、要は仕事の有無がどこに住むかを決めると言っていいだろう。あとは個人の嗜好。昔は、どうだろう20年くらい前までは若者であれば10人中9人までは東京が楽しいと思ったであろう。今でももちろん、東京が楽しいと思う若者も多いが、東京よりも地方で田舎暮らしをしたいという若者も増えている。ある意味、若者の車離れと似ているところがあると思う。価値観が多様化した。それでも仕事がなければ、まずは食べていけないので、東京で就職するという人がやはり多いのだと思う。

思い返せば、「東京一極集中問題」というのはすでに1960年代ぐらいから始まっている。長年、この問題を解決するために頭のいい人たちが知恵を絞り、政策を実行したが、解決しなかった。平成の最初の頃はまだ、地方に住みたくないというのが本音ベースの根本的な問題だったと私は見ているが、それ以降は仕事の有無が大きなネックとなっている。

今、いろんな人たちが「東京一極集中を是正する=地方を元気にすることが大切」と言っている。注意しなければならないのは、これは地方が主役、地方の時代が始まるということではないということだ。そのことを指摘している人は少ないが、東京主導による地方の改革だという意見が散見されるようになってきた。わたしもそう思う。

われわれのような地域に生活している者は、中央から発信される「東京一極集中=地方創生」に易々と与することなく、したたかに利用する気構えでいないと、本当に地方は消滅してしまうと私は見ている。これは政治家というよりも官僚の上から目線的な政策ではないだろうか?自助努力が大切である。


2 2014.11.13「三重ふるさと新聞 随想倶楽部」

10月7日の総合文化センター開館20周年を記念して、初代三重県総合文化センター副総長兼文化会館長だった大原久直氏が「“三重にも”ではありません」という題で寄稿されている。勝手ながら原文をそのまま引用させていただく。

『今『地方創生」が声高に言われています。そんな時、三重県は、“三重県にも”ではありません。三重県には、美しいたたずまいの文化施設がある、元気な文化施設がある、そこに行けば、ほかの県では得られない感動と喜びがある。』

こういう風に心底思えないと、三重県はどんどんさびれる一方でしょうね。


3 2014.10.27 「伊勢新聞 朝鮮通信使をユネスコの記憶遺産に」

朝鮮通信使とは、江戸時代に12回、朝鮮王朝から日本に来た使節団のこと。

ところで、津の「唐人踊り」はこの朝鮮通信使の行列を模したもので、津まつりを盛り上げるために企画・実行されたものだと聞いている。裏返せば、朝鮮通信使とはそれだけ人気があり、誰もが見てみたい行列(パレード)だったということだろう。見に行けないし、本物に来てもらうこともできないのであれば、真似してみようというのが津の「唐人おどり」なのだろう。この唐人おどりは津だけでなく、鈴鹿や岡山の牛窓(ここは本物の通信使の行列が通っている)などに残っているので、よほど人気があったのだろうと思う。今ならミッキーマウスを呼ぶようなものだろうかと想像する。

ここでわかるのは、朝鮮は江戸時代の日本人があこがれを抱くような国であるということだ。もう一つ興味深いのは、朝鮮ではなく唐人と言うところである。当時の日本人は唐(=今の中国)と、朝鮮半島の区別があまりできていなかったのではないだろうか?!
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欽ちゃんの『私の履歴書』 [日経新聞から]



日経新聞の看板コラムである『私の履歴書』。今月の執筆者はコメディアンの萩本欽一さんである。

読んでいてたいへん面白いし、励みになる。

今回この連載で初めて知ったのだが、昭和の爆笑王・欽ちゃんも、最初は全く笑いがとれなかったそうだ。それどころかむしろ劣等生で、クビになりかけてもいる。

いよいよこれから売れ出した頃の話が掲載される。今から楽しみだ。

閑話休題、私の履歴書といえば、執筆者の大半は経済人だ。昔の履歴書は、戦争という大きな出来事が人生の若い頃にあり、その苦労は現代人には計り知れない。やや不謹慎な表現で申し訳ないが、戦争を機に一発逆転のようなことがあった。言い換えれば人間力のようなものが試された。

それが最近掲載される方々は誠に立派であるのは間違いないが、戦争のようなことは幼少期にしか起こっていない。ゆえに出世競争に打ち勝ったような話が多く、それはそれですごいのだけれど、上司の若い頃の武勇伝を聞いているようで、あまり心地よくない。

その点、女優さんや今回の欽ちゃんの履歴書は命がけの生き様が書かれている。

ぜひ読んでいただきたいと思う。
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