SSブログ
日経新聞から ブログトップ
前の10件 | 次の10件

立身出世vs二宮金次郎 [日経新聞から]





本日の日経新聞「日曜に考える 熱風の日本史 第15回 哀しき立身出世主義」がたいそう興味深かった。

要約すると、

1 明治維新以降、厳しい身分制度から解放された日本人は少しでも優越的地位に身を置こうと努力した。それが「立身出世」という言葉で表現された。


2 典型的な立身出世は、旧制高校→帝国大学→高級官吏であるが、狭き門であり、金銭面の問題も含め、誰もがなれるものではなかった。


3 そのため、立身出世の野心を冷却させる考え方を用意する必要があった。それが【二宮金次郎】である。金次郎は「倹約・勤勉・忍耐」を旨とし、社会的成功や富よりも“道徳的な成功者”を賛美する考え方である。これが“立身出世をあきらめた脱落者、敗北者の「反抗や意気喪失を防止する装置」”となる。


以前、何で読んだか忘れたが、こんなことが書いてあった。明治時代になり、福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と述べた。たしかに江戸時代のような厳しい身分制度はなくなり、生まれながらの一応身分差別はなくなった。裏返せば、偉くなるかどうかは自分の努力次第であり、現代にも通じる厳しい競争社会が始まった。


これがつまり「立身出世主義」ということになろう。


わたしはこの流れは現代にもつながっていると思う。


本記事によれば立身出世の“火消し”の役割で登場した「二宮金次郎」の考え方も現代に生きている。さすがに二宮金次郎の像を置く学校は少ないが(昔のが今も残っているだけ)、「倹約・勤勉・忍耐」は現代でも美徳である。このうち、勤勉と忍耐は薄れ、今や風前の灯かもしれないが、倹約は今も根強い。わたしはデフレの正体はいきすぎた倹約だと考えている。


独断と偏見であるが、立身出世主義は都市部で強く、二宮金次郎の倹約・勤勉・忍耐は地方により色濃く残っている気がする。


都市部では小さい頃から“お受験”がさかんであり、地方にいけばいくほどそのような風潮は薄らぐ。

都市部では立身出世した証として高い家に住み、高価なものを身につける傾向がある。地方では倹約をして、身の丈に合った生活を余儀なくしている。


もっと端的に述べれば、親が立身出世主義だと、子どももそうなる傾向が強い。逆も然りである。


本来の立身出世は、この国や社会をよくするためのものであろう。倹約・勤勉・忍耐も自分自身を幸せにする行動規範である。


立身出世と二宮金次郎を相対するものとする限り、我々はまちがった方向へ進んでしまう気がしてならない。
nice!(0)  コメント(4) 

三重テラスの記事 [日経新聞から]





『日経MJ新聞』(2013年10月16日号)1面に、「三重テラス」のことが載っていた。

記事のテーマは“フリーのバイヤー”。人気雑貨店の後には目利き力のあるバイヤーが存在しているという内容だ。

紹介されているのは「三重テラス」の商品買い付けや内装などを手掛けたリドルデザインバンク社長の塚本太朗さん。塚本さんが生地を選び、現代風にデザインした伊勢木綿の雑貨の写真も添えられている。

塚本さんの真骨頂は商品開発にまで踏み込むこと、と記事は書いている。その一例が伊勢木綿の雑貨である。ここまでくると、単なる目利きではなく、(もちろんそれだけでもスゴイことだけど)、創造者の域に達している。


先日、「三重テラス」のプレオープンに行ってきたが、来週、また上京する機会があるので、じっくり見てこようと思う。

ちなみにもう一人取り上げられている方は「オービィ横浜」のフリーバイヤー・山田遊さんだった。
nice!(0)  コメント(0) 

「明治維新 文化財に牙」 [日経新聞から]



本日の日経新聞13面の「日曜に考える」に興味深い記事が掲載されていた。

タイトルは「明治維新 文化財に牙」

「明治維新期は旧弊を打破し、文明開化により新しい時代を開くという機運が異常に高まり、行き過ぎた前時代の否定が行われた。代表例が廃仏毀釈、廃城令による寺院、城郭などの旧物(文化財)破壊だった。」


驚くことに、奈良・興福寺の五重塔(現在は国宝)も25円で売却された、とある。現代の貨幣価値に直しても数十万円という価格らしい。これは地域住民の反対で中止になった。つまり、明治政府よりも地元住民の意識の方が健全であったということだと思う。


記事中にある半藤一利さんのコメントによると、「明治新政府がやろうとしたのは、儒教思想による江戸幕府の統治を完璧に壊すこと。そのため、天皇を中心とする神道国教化政策をひそかに考えていた。」


歴史の授業で習ったように、廃仏毀釈のことは知っていたが、まさか文化財までその危機にさらされていたとは、驚きである。


一方、「廃城令」は江戸幕府の権力の象徴である「城」を壊そうという発想は、新政府側の考え方としては「あり」なのでしょう。とはいえ、貴重な建物のほとんどが失われたのは残念なことである。


記事によると、天守閣が創建時のまま残った城は、松本・彦根・姫路・犬山・松江・高知・伊予松山・丸岡・備中松山・弘前・丸亀・宇和島の12城だった。


彦根城は大隈重信が明治天皇に進言したことで壊される運命が一転、残されることになったというのだから、当時の政府高官全員がバランス感覚を失っていたわけではないということである。また天皇陛下も寛大なご判断を下されている。


また、当時の城は旧士族による反乱根拠地になる可能性もあったのだから、残す側にもたいへんな努力があったことと思う。


それにしても残った12城と、それ以外の多くの城との違いはなんだったのだろうか? また、たとえ壊されたとしても、その後の再建等で違いがあるのはどういう理由からなのだろうか?


たとえば、津城は江戸時代に火災があって、天守閣はその後再建されず、幕末-明治初期には既になかったと言われている。そうだとしても築城の名手・藤堂高虎が造った巨大な堀は、いつ、なぜ、なくなったのだろう?


今わずかに残った内堀やセメントで固められている石垣を見ると、ささやかな記憶として、言い訳程度に残されたように見える。逆に、これだけ城跡がないと、当時の人は、一般庶民も含め、早く、江戸時代の記憶を消したかったのではないかと邪推してしまう。その理由は、古くは関ヶ原、近くは幕末の鳥羽伏見の戦いでとった藤堂藩の行動に起因するのではないか、というのは考えすぎであろうか?


話がやや横道に入ってしまった。歴史好きの方は読んでみてください。
nice!(0)  コメント(0) 

テンプスタッフ創業者の「私の履歴書」 [日経新聞から]



久しぶりに日経新聞の話題です。

同紙の名物コラム「私の履歴書」、今月(6月)はテンプスタッフの創業者・篠原欣子さん(しのはら きんこ さん)がご執筆されています。

篠原さんの波乱万丈の生涯は、失礼な言い方となりますが、たいへん面白かった。女性の凄さを感じました。


その前半生は、結婚に失敗、なんのツテもなく海外での語学勉強などたいへんご苦労なさったようです。そのご苦労は女性特有のものであり、男性から見れば少し“軽やか”にもみえますが、ご本人にとっては本当、たいへんだったことでしょう。


30代で人材派遣会社を起業され、創業時の忙しい様子はまるで昨今のIT関連業のようです。


起業から40年、一代で、グループ会社の社員数5,970人、売上高2,472億円の企業を作り上げられました。


「すごい!」の一言に尽きます。


では、成功の秘訣は何だったのか?


失礼ながら私なりの解説を試みますと、成功を目指さなかったからではないかという気がします。


もし、篠原さんが成功を目指していれば、このような大会社グループではなく、平凡な家庭の主婦に修まっていたように思います。


なんとなく、しかたなく“この道”を歩むしかなかったようにも見えます。


前半生の艱難や起業時の辛苦に比べれば、会社が大きくなる際の苦労など篠原さんにとっては苦労のうちに入らなかったのではないでしょうか?


6月29日付けの本欄より抜粋。

“派遣業界は設備が不要で工場もいらないという身軽さが身上だった。つまり「持たざる経営」こそ利益の源泉でもあった。それを「持つ経営」に転換したのは、雇用の創造を最優先したからだ。過去の成功体験に意味はない。”

こうやって鮮やかに経営の舵を切り、判断ができるのは今までの決して平坦ではなかった人生の裏付けがあればこそと考えます。


安全・安定志向で生きてきたサラリーマンにはできない決断だと思うのです。
nice!(0)  コメント(0) 

2013年上期ヒット商品番付 [日経新聞から]



先ごろ(2013年6月19日付けの日経新聞ならびに日経MJ新聞に掲載)、『2013年上期ヒット商品番付』が発表されました。


それによると、東の横綱が「高級時計・宝飾品」であるのに対し、西側の横綱は「住宅ローン」でした。


最近の好景気をを反映した順位が、東の高級品に対し西の金融商品という結果は少々意外でした。



わたしは毎回この順位を興味深く眺めてますが、金融商品というのはこれまであまりなかったように思います。


東の前頭五枚目には「孫への教育資金贈与信託」がランクインしており、金融界においては動きのある上半期だったことがよくわかります。おそらく下半期には“NISA”なども入ってくるのではないでしょうか?


閑話休題、注目すべきは西前頭の末席に「式年遷宮」が選ばれていることです。記事によれば実際の遷座が行われる下半期では更に順位を上げる予想がなされていました。


ちなみに東前頭の末席は「富士山」です。 富士山と伊勢神宮という日本のシンボルがランクインしたことこそが、今年上半期の世相を象徴していると感じました。
nice!(0)  コメント(0) 

「自動車は道具か文化か」 [日経新聞から]

少し前の日経新聞に表題のコラムがありました。(掲載日の記入を忘れました。大西康之編集委員の署名記事です。)

そのコラムによると、ヨーロッパでは自動車は道具ではなく、文化であり、“レースなくして自動車なし”という精神で自動車を作っている。この点が、日本の自動車メーカーが(富裕層から支持されるということでは)欧州メーカーを超えられない理由である、と結論付けています。

そして、それは自動車ばかりでなく、アパレルや時計でも同じことがいえると論を進め、アップルのジョブス氏の例も引用しています。

対して日本のモノづくりは、「安くて良いモノ」に対する信奉が作り手の頭から抜けないとも書いています。

以上の論にわたしは全く異を唱えることはありません。その通りだと思います。

では、日本製が欧米のモノづくりにデザインや文化性で勝つことができないのかといえば、そんなことはないと思います。

昔の例でいえば、SONYであったり、欧米の富裕層を唸らせたメーカーは存在しました。

あまりいい例ではありませんが、戦艦大和など機能美が人心を魅了した例もあります。

本物志向で作れば、「安くて良いモノ」と意識しても自ずと限界がきます。日本の伝統工芸品など職人と呼ばれる方々が作るモノが高い理由はそこにあります。

日本製の工業製品に文化やアートの部分が少ない原因は、作り手側よりもむしろ消費者側にあるのではないかとわたしは思います。

いいモノでも高いものは絶対数が出ない。そのため作り手が存続できない。

わたしたち日本人がもっと贅沢品(そしてそれを作る人たち)を大事にしないといつまでもこの不況から脱却できないように思います。
nice!(0)  コメント(0) 

3月20日の記事 [日経新聞から]



おーっつと、まちがえて写真だけ載せてしまいました。

急いで本文を今からつけますね。

さて、今日も定番の「日経MJ新聞」の水曜名物コラム『招客招福の法則』から。

本日ご紹介する記事は先週(3/20)号です。

前週からの続き記事で、タイトルは“買うべき商品、客は知りたい”というのがサブタイトルでした。


舞台(お店)はある靴屋さん。その店では安売り品をやめ、店主お薦めの品を取りそろえているというお店です。


ある日その靴屋さんに老夫婦がやって来た。奥様用の靴で、どちらかと言えば安い、お値打ちな靴をさがしていることが会話からわかった。


本来であれば、お客の意を汲み、高い靴など薦めないのが接客の基本であろう。


しかし、店主はどうしてもこのご夫婦(奥様)に3万円以上の高級品を薦めたくなった。


理由は加齢により奥様が少し足がご不自由であったからだ。


このお店ではこのご婦人のような高齢者の方にピッタリの靴を取り扱っていた。


その高価な靴を最初、店主が差し出したところ、ご夫婦の会話が一瞬止まった。


「こんな高い靴は買えない」と、目で訴えられながらも、店主が一所懸命この靴の良さを説明したところ、奥様が関心を持たれ、試し履きをされた。今までの靴とは全く違う履き心地の良さに感動した奥様はこの高価な靴を購入した、というお話。


ここでの学びは、お客様に役立つものであったり、必要なものであれば、多少高価であっても購入につながるということである。


わたしもついつい安価な商品を選びがちであるが、それは商品の本来の良さを知らされないまま比較項目が値段のみという中で選んでいる場合が多い。


お店の方も客は安物しか買わない(関心がない)という前提で商品を品ぞろえしているお店ばかりになってきた気がする。


価格が安い⇒利益が少ない⇒正社員の店員が雇えない⇒商品知識など十分な従業員教育ができない⇒高付加価値商品を説明する能力がない⇒安物しか売れない


こんな悪循環になっているのではないでしょうか?


もっとも高級品を売るお店であってもがっかりな接客というのも多いですが・・・。


本記事にご関心のある方は図書館ででもお読みください。
nice!(0)  コメント(0) 

白川日銀総裁退任 [日経新聞から]



本日の新聞には、昨日退任された白川日銀総裁の記事が掲載されていました。

とかくマスコミや政府の“ウケ”はあまりよくなかったようですが、わたしはブレないところが好きでした。

日経新聞5面に、東短リサーチの加藤チーフエコノミストの談話が掲載されていた。「長い目で見て適切な対応」という見出しのその談話はおおむね好意的に書かれていました。(我が意を得たりという感じでした。)


デフレが問題視されています。わたしは今の日本はデフレのおかげで恩恵を得ている方が大きいのではないかと思っています。(これは生活実感レベルなので大局的にどうかはわかりません。) そういう意味でも白川氏のデフレ対応は間違ってはなかったのではないかというのがわたしの見解です。


閑話休題、退任会見の要旨にある次の問答が印象に残りました。


問 市場との対話や期待への働き掛けはうまくいったと思うか。

答 (前略)中銀が言葉によって市場を思い通りに動かすという意味であるとすれば、そうした市場観、政策観は私には危うさを感じる。(後略)


白川氏らしい回答である感じた次第。
nice!(0)  コメント(0) 

張本さん [日経新聞から]



2013年2月23日付けの日経新聞土曜版「食の履歴書」に元プロ野球選手で、今も辛口な野球評論でお馴染み張本勲さんの記事が掲載されていました。


その記事によると、張本さんは少年の頃、憧れのプロ野球選手の宿舎をのぞいた際、自分が見たこともないような分厚い肉を選手たちが食べていた光景が忘れられず、自分もプロ野球選手になることを目指します。


この記事でよかったのは張本さんの食事、とりわけ肉への思い入れではなく、練習に対する動機づけについて書かれたところです。


【引用】

コツコツと練習をしていたつもりだったが、数年後、ある人との再会で、自分の慢心に気づかされる。

王貞治

(中略)

目が覚めた気がした。それからは、酒やごちそうをあまり楽しめなくなった。銀座にいても「早く自宅に帰って、バットを振りたい」。

(中略)

毎晩自分に喝、喝、喝。1日300回。2時間かけて、全身全霊で振る。「バットを振った回数は日本で誰にも負けない自信がある」。


ico65ico65ico65

ご存じのように張本さんの異名は“安打製造機”。通算3085安打は日本プロ野球公式記録歴代1位。


日曜朝、8時30分過ぎからの「喝だ!喝!」は伊達ではなかったのだと、今さらながら思いました。張本さんは幼少の頃に負った右手のケガを猛練習で克服し、大記録を築かれました。わたしはこういう逸話が好きでなりません。
nice!(0)  コメント(0) 

結果として客単価が上がる [日経新聞から]

おなじみ日経MJ新聞の名物コラム「招客招福の法則」(2013年1月23日号、NO.375)にて興味深いことが書かれていました。


今やデフレによる客単価の切り下げは小売店の共通の悩みだと思います。


今回のコラムで紹介されている某メガネ店は、「ありがとう」と言われる接客を意識した結果、客単価が上がったというエピソードでした。


このお店でも、以前に客単価を上げようとして関連商品を勧めるなどしてきましたが、イマ一つ大きな成果にはならなかったとのこと。


それが、今回は客単価を上げることが目的ではなく、お客様から「ありがとう」と言われる接客を心掛けたところ、その副産物として客単価が上昇しました。


単価上昇の理由について端的に述べると、お客様から感謝の言葉をいただけるように接客態度や言葉遣いが丁寧になり、全てのお客様に対して、上得意先のように接するようになったからではないかと記事は伝えます。


(詳しくは本文を読んでください。)


それにしてもいつもながら、このコラムはたいへん勉強になりますなぁ~face02
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 日経新聞から ブログトップ